津山市の宮川大橋の袂にある材木町には、江戸時代、(騎射の稽古のための)追廻馬場がありました。
明治維新後、市中においてみだりに芸妓を引き寄せる者があり、風紀が乱れ弊害が出ていたことから、明治4年、津山藩庁は、追廻馬場を集娼地と決め、追廻は後の津山遊廓へと発展しました。*1*2
津山遊廓跡地(「近代岡山の女たち」*2に掲載されている写真と同じアングル)。
付近には、古い建物も残っています。
本琳寺(写真奥)近くの通り。
【参考文献】
*1 津山市史編さん委員会:津山市史(津山市,1974.)P.149-P.152
*2 岡山女性史研究会:近代岡山の女たち(三省堂,1987)P.268-P.280