長野県下で一番初めにできた遊廓は、明治9年に開業した松本の横田遊廓*1 ですが、これよりやや遅れ、飯田遊廓が、明治15年に認可を受け、開業しました。その後、明治40年に二本松遊廓と改められ、昭和の時代まで続きました。*2
遊廓の入口には大門があり、大門を入ると、小料理屋や湯屋が軒を連ね、その次(写真右手前の曲がり角)に久保田楼がありました。遊廓の真ん中は、広場のように広くなっていました。*2
久保田楼は、数奇屋造りの美しい佇まいで、重要文化財級の建物でしたが、2002年に取り壊されました。*3
久保田楼があった場所には、現在はアパートが建っています。かつての久保田楼の写真*4 に写っていた松の木と同じ樹形の松の木が現在も残っています。
遊廓に入るには、大門から入る通路の他に、お忍びで入ることができる3本の通路がありました。そのうちの1本、南側の下馬場町通りからの通路脇には、深川楼がありました。*2
現在この場所は駐車場になっています。
遊廓の突き当たりにあったお稲荷さま(明治29年5月勧請)は、現存しています。*2
【参考文献】
*2 村沢武夫:飯田情話(南信州新聞社,2006)口絵,P.76-P.77
*3 林安直:信州かやぶき民家(しなのき書房,2006)P.252
【関連記事】
*1 横田遊廓跡地(2007.3)