江戸時代、新宮は上方と江戸を結ぶ海上の要衝で、木材や薪炭の集散地として栄えました。熊野速玉大社南側に、大王地と呼ばれる旧花街がありますが、新宮が「南国の宝石」と呼ばれたころの殷賑が見てとれます。*1
![](http://pds.exblog.jp/pds/1/201008/02/51/e0073751_23111290.jpg?w=450&h=300)
飲食店やスナックが軒を連ねますが、老舗の建物も多く残されています。
![](http://pds.exblog.jp/pds/1/201008/02/51/e0073751_23111875.jpg?w=450&h=300)
かつて、料亭だったと思われる建物が建ち並びます。
![](http://pds.exblog.jp/pds/1/201008/02/51/e0073751_23112390.jpg?w=450&h=300)
入口にタイルの装飾がある和風の建物。
![](http://pds.exblog.jp/pds/1/201008/02/51/e0073751_23112818.jpg?w=450&h=300)
【参考文献】
*1 和賀正樹:熊野・被差別ブルース(現代書館,2010)P.17-P.18
江戸時代、新宮は上方と江戸を結ぶ海上の要衝で、木材や薪炭の集散地として栄えました。熊野速玉大社南側に、大王地と呼ばれる旧花街がありますが、新宮が「南国の宝石」と呼ばれたころの殷賑が見てとれます。*1
飲食店やスナックが軒を連ねますが、老舗の建物も多く残されています。
かつて、料亭だったと思われる建物が建ち並びます。
入口にタイルの装飾がある和風の建物。
【参考文献】
*1 和賀正樹:熊野・被差別ブルース(現代書館,2010)P.17-P.18