不忍池は、江戸時代、有数の出会い茶屋の密集地帯でした。*1
「江戸名所図会」の「不ばずの池、中島弁財天社」や歌川広重「名所江戸百景」の「上野清水堂不忍ノ池」を見ると、池の中央部に中島が築かれ、中島のまわりを、水面に突き出すようにびっしりと建物が取り囲んでいますが、これらはすべて茶屋で、そのうちの何軒かは出会茶屋でした。*1
このあたりにも、かつては茶屋が並んでいたのだと思います。
現在の池畔には観光客向けの茶店が建ち並んでいます。
【参考文献】
*1 永井義男:江戸の下半身事情(祥伝社,2008)P.32