南桜社東都芸妓名鑑南桜社1930 リンク
下谷花街の沿革 リンク

P.6
喜久家の記載。

向島花街の沿革 リンク

向島芸妓連名の項に、「花びし」。

芝浦花街の沿革 リンク

御料理「いけす本店」。

亀戸花街の沿革 リンク
この地が花街として発展したのは、寛政年間からであって、各所に散在していたのがいつの頃よりか、今日のような繁昌を見るに至ったのである。 もっとも、この近くには、深川、向島棟の花街が江戸時代からあり、殊に深川江戸町随一と称せられていたくらいであったが、水野越前守の大改革によって、それは何れも深川から各地に逃げのび、この地にきて芸妓渡世をしたものが少なくなかった。それがこの地に花街を形成させたそもそもの始めで、天満宮に参詣する幾多の人士を相手にするようになってから、急激な発展を示したのである。
神田花街の沿革 リンク
花街の創設 芝居茶屋が出現するど同時に草分け芸者として生まれ、翌年(明治3年)頃に二十三、四人の芸者が集まる花街となった。 花街沿革 明治三十三年頃は、芸者見番は旅籠町三丁目九番地にあって、芸者屋は二十九軒であります。