上村敏彦東京花街・粋な街街と暮らし社2008
伝統の芸を誇る新橋花柳界
新橋南地の烏森花柳界(一)
P.36 銀座の明治5年の大火は、金春付近にあった芸妓置屋も焼き尽くした。そこで、芸妓屋や芸妓は、一部を残して汐留川より南の烏森方面に引っ越した。煉瓦街が完成すると烏森から旧地に戻る者もあり、新橋は烏森の南地と汐留川北地の煉瓦地に、二つの花街が誕生したのである。 P.37 烏森神社の写真 烏森神社と参道の飲食店(平成13年頃)。現在、左側は整備され、飲食店はない。
花街の復興と演舞場再建
P.51 戦時中には強制疎開で取り壊されたり、廃業した料亭・待合も多く、戦災で被害を受けなかったのはわずか六軒だけであった。築地の「新喜楽」「米田中」「雪村」と銀座七丁目の「蜂龍」「金田中」「田中家」で、疎開していた芸妓屋や芸妓もポツポツ東京に戻ってくるのは昭和21年のことだ。 写真 芥川賞や直木賞の選考会場としても有名な築地の料亭「新喜楽」。