塩満一アメ横三十五年の激史東京稿房出版1982
第5章 ヤミ市から脱皮
(一)ガード下にマーケット建設 P.248-P.250 引揚者だからと言って、いつまでも青天井では、どう仕ようも無いだろうということと、GHQが露店廃止をやるかもしれないとい情報なども手伝って、露店からガード下のマーケットに移転した。現在は、“舶来の殿堂”とか“世界のアメ横”などと看板を掲げて外国製品のメッカとなっている。 (二)アメリカ物資出回る P.252-P.254 アメ横の成長は、、朝鮮戦争のおかげだったといっても過言ではないでしょう。小遣い銭欲しさに、米兵らが洋酒やタバコを密かにアメ横に持ち込んできた。やがてジープで堂々と乗り付けて、PXからの横流し物資を持ち込んでくる。昭和32年頃になると、南京虫(腕時計)はじめ、ライカ(カメラ)、ロンソン・ライター、パーカー万年筆、すべて、アメ横にいったん入荷されて、それから国内の各地に卸されてから市販された。 アメ横は、大量に現金で仕入れ、国内に卸す問屋であると同時に、小売り店でもあるというところに、市価より常に3~4割が安い、それだけの値引きをしても十分採算がとれるのです。しかも、デパートのように上等なケースもいらないし、従業員は家族たちで十分間に合うので、経費が安く済む。

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上野(アメ横)高架線下の商店街。舶来品の殿堂。