岡本澄雄江戸吉原の遊廓と住ノ江遊廓小城の歴史 : 第73号小城郷土史研究会2016
住ノ江は、江戸後期には生活の糧として有明海の魚介類を水揚げしていた漁村であったが、近代化の原動力となった石炭を北方・大町・江北の炭鉱から掘り出し六角川の水運を利用して河口の住ノ江港まで運び、そこで貨物船(三千トン級の船もあった)に積み込まれて、戦前は国内だけでなく、中国(上海、香港)や東南アジア(スマトラなど)各地へ輸出された。当時は貨物船の出入りも多く住ノ江港は貿易港として、上陸する船員で賑わい、対岸の福富住ノ江地区みは税関も設置された。 住ノ江遊廓の開業は大正9年11月3日で、八軒の遊廓が軒を並べてどの遊女屋も5~10人の娼妓を抱えていた。 第二次大戦後の昭和21年(1946年)にはGHQの指令により公娼制度が廃止されるが、カフェーや料亭などと看板を変えて、遊廓はほぼそのまま「赤線」の通称で呼ばれる地域として存続した。昭和32年(1957年)、売春防止法が成立し、公娼地域としての遊廓の歴史は完全に幕を閉じることになった。

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小城(お稲荷さん)小城の遊廓の遊女が信仰。
小城(住ノ江遊廓 妓楼の建物)面影を残す門構え。
小城(住ノ江港)石炭で栄えたかつての貿易港。