日立市老人クラブあさひ睦会旭町の今昔終戦時まで日立市老人クラブあさひ睦会1987
P.40 旭町花柳界(その一) 旭町が花柳界として賑わい始めたのは、大正4年頃からである。大正3年8月、第一次世界大戦が始まり、日鉱・日製が軍需景気に沸いていたころ、助川駅は、線路の山側から今の海岸口に移転しており、駅の周辺には、旅館、料理店、芸妓置屋が出来、この辺一帯は、海水浴場と共に、日鉱・日製社員等の憩いの場所となった。 旭町花柳界(その二) 昭和3年に、初めて組合が結成されたものの、まだ二業組合であって本格的な三業地ではなかった。昭和4年頃から7年にかけては、本格的な三業地として世に知られるようになった。 P.50 天地閣 明治45年頃、地元の立花氏が建設し、「助川ホテル天地閣」として営業開始し、大正10年頃より養子立花源吾氏が経営したが、昭和十四年頃、富田伊勢松氏が引き継ぎ現在に至っている。

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日立(旭町花街跡地)三業組合がありました。