額賀せつ子 水戸と太田の芸妓たち : 芸妓の今昔 K5 ART DESIGN OFFICE. (公財) いばらき文化振興財団助成事業 2015.12

太田の芸妓たち

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板屋坂の中間地に板屋稲荷神社がある。かつて芸妓たちは新年の初午にお参りした。芸妓がいなくなった今では、東町二丁目の氏神様となっている。この神社は1394から1427年(応永年間)に建立されたもので、佐竹氏累代の氏神である。

P.96
当時は祝い事があると芸妓の出番になっていたようである。
若宮八幡宮の例祭には、山車が出て、芸妓が山車に乗っていた。

水戸の芸妓たち

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現在、大工町一丁目川上ビルのわきの通りは旦那横丁と言われる。裡信願寺町から表信願寺町へ通ずる横町であった。この一角は芸妓屋町で、しかもその芸妓屋はいずれも旦那持ちだったので、地主の川上が新道を開いたとき、旦那横丁と言ったのが始まりという。今もその名を看板に見ることができる