峯岸義一茂原太平記温泉 22(1)日本温泉協会1954

阿久川という川とは名ばかりの流れにかかった落合橋を渡ると、六軒ばかり固まって割烹旅館式の作りの家が立ち並んでいる。 いずこも同じ三本滑毛の温泉マークがネオンに輝いている。弁天荘、大善、若松、松竹、松の家、深川という色どり。

もとをただせば、戦時中ここは航空隊の基地となっていたので、洲崎や船橋の娼妓を慰安婦として集めたのが始まりで、それも間もなく終戦の勅命第九号で解散させられたのだが 昭和20年の11月、アメチャンが入れ替わってご来光と相成り、昨日の敵は今日の何とやら、”草むらやつわものどもが夢の跡”がばた臭くなった。(中略)そのときの怪楼窟こそ今の茂原温泉郷の前身である。


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茂原(グリーンセンター跡地)旧海軍慰安所→温泉郷から転業した大衆娯楽場。