水上勉私版東京図絵朝日文庫朝日新聞社1999.2
高松町の家
動坂目赤不動

P.28
「明治廿六年発巳八月中当初不動堂修繕之際、此所之地下、五・七尺之間において古代之土器及び雷斧石(らいふせき)之類数品掘出得たり。大学人類学教授坪井正五郎君に鑑定を乞い、其日本太古の人類コロボックル時代の器具たるを知れり。コルボックル、アイヌ人種の前にありて、今を去る三千有余年と云、真に考古学の要品と言うべし。因って此中の異品をえらみ、額面に製し、当不動堂及び浅香町南谷寺に安置の目赤不動堂前に収め、且つ坪井君の解説をも添えたり。探古の雅君に一覧をたまわらば拙〇幸甚となす所なり。
 明治28年乙未6月大吉祥
 当山玉〇謹述」
と読める。

目赤不動は、浅嘉町の南谷寺という寺にあったらしく、明治二十六年に動坂へ移して修築している。