藤沢市総合市民図書館わが住む里藤沢市総合市民図書館
わが住む里 第46号1995
江の島道

P.98
一の鳥居
広重の東海道五十三次藤沢宿の版画に出てくる遊行寺橋際の鳥居は、かつては江の島弁才天第一の鳥居あった。この鳥居こそ江ノ島参詣に、また、遊山に来た旅人をまず最初に出迎える案内者だった。旅人はこの鳥居を彼方から見出すことによって藤沢宿に近づいたことが判り、そしてようやく。「是より江ノ島道」だと安心感を与え、良き道しるべにもなっていただろう。
鳥居は、明和6年(1769)に建立されたが銅板張りの木製であったので破損も早く、寛政2年(1790)、台風にて倒壊したが、文政6年に再建されることになった。なお、島入り口の青銅の鳥居もこの2年前、江戸吉原をはじめとする商人の講中によって再現されたばかりであった。ついで明治13年11月26日の大川屋火事によって宿際の鳥も消失し、翌年再建があったが、大正14年、国道一号線の拡張工事の際、取り壊される憂き目にあったのであるが、わずかに礎石のみが遊行寺境内の宝物館の入り口前に袴石と称してひっそりと置かれたままになっている。

加藤公一辰巳町今昔

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辰巳町の年代は新しい。明治13年11月27日午前2時、藤沢の大火「大川屋火事」により宿場の大半が消失し、その再興の際、宿場(今の本町通り)に点々とあった旅籠屋、宿場女郎屋を明治35年県令により一箇所に集めるために、現在のところに移籍したものである。
宿場より見て東南の方向「巽」にあたり。また深川の辰巳にならい、辰巳町と名付けられた。

P.46
戦後、昔の女郎屋がその稼業をやめたり、他人に貸したりして、だいぶ新地の中も変わった。蔦屋の跡に木村小児科医院が開業、その後、現在の津の国屋アパートになり、辰巳屋の跡に第一ゆたかセンター、岩月は人に貸し、現在は壊して駐車場になっている。松阪の跡は山下さん宅となり、現在はソープランドの焼跡と第二ゆたかセンターとなってしまった。
戦前は桑原さんのおじいさんが菓子屋をしていたが、故人となられてから岩月でビリヤードをしていた。
日野清の跡が立花となり、戦時中まで山下さんが住んで、土木請負と女郎屋を経営していたが、その後、戦中、高塚さんが買い取り、屋号はそのまま立花で経営された。今は建売の店舗と駐車場となっている。
三浦屋と大和屋は戦前に商売をやめ、今の100万弗センターと小鳥の街となっている。月見は裏の座敷を壊して表の店を後に曳き、その後に松竹、千成、ひばり、つむぎ荘ができたが、その一角が昔の月見の場所である。
火の番小屋の脇の桜の木があった所に戦後飲食店の店が五、六軒できたが、現在、建友さんの事務所と椿さんの家ができた。
丸屋の跡は富久さんが買い、現在一番街飲食店になっている。中徳も戦前に壊して、今の四組の住宅となっている。