東京人 30(11)2015.9
特集 戦後七十年 ヤミ市を歩く。 復興はここから、見上げた空は青かった
石榑督和上野

上野の闇市は、他地域と同様に青空市場として始まり、縄張り争いが絶えず、「組」組織と朝鮮半島の人々が入り乱れていた。そうした状況が落ち着くのは1946年春以降である。戦中期に疎開空き地となっていた三角地帯(現アメ横センタービル)に近藤広吉によって近藤マーケットが建設された。また1947年秋には、国鉄高架下を引揚者団体である「下谷引揚者更生会」が借り受けて、露店街を作り、その一方で朝鮮半島の人たちは、東上野二丁目に国際親善マーケット(現キムチ横丁)を作って分離していった。