ランドスケープ研究日本造園学会
西邑雅未筑波山における観光ルートの変遷2015.3

P.588
1889(明治22)年には水戸と小山を結ぶ水戸鉄道水戸線(現在のJR水戸線)、1896(明治29)年には水戸から上野結ぶ日本鉄道会社海岸線(現在のJR常磐線)が施設され、東京や栃木からの登山者が増えた。これらの開通により下館まで電車で行き、筑波町へ行く方法や、土浦まで電車で行き、人力車あるいは馬車を使用して北条経由で筑波山へ行く方法などが紹介されている。しかしこれらの鉄道よりも筑波山に大きな影響を与えたのは、1918(大正7)年の土浦駅と岩瀬駅を繋ぐ筑波鉄道の開通である。これにより、つくばから土浦まで約50分で行けるようになった。7年後には筑波山神社と御幸ヶ原を繋ぐケーブルカーが開通し、登山客は大いに増加した。
筑波鉄道開通以降は、ほとんどが土浦から筑波鉄道で北条もしくは筑波まで行くルートを紹介している。実際は北条よりも筑波山に近い筑波駅を使う登山客が増え、これにより、北条の町は寂れていくこととなった。一方、筑波駅から筑波山神社への道は栄えたものの、交通機関の発達により滞在時間が短縮され、筑波町の旅館は宿泊客が減少した。筑波鉄道で移動時間が減り、ケーブルカーで登頂時間が減り、大量に登山客を迎え入れることができる状況になったものの、筑波山麓の町の繁栄については考慮されていなかったのだろう。

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筑波(「従是筑波山道」碑)茨城百景。筑波山への登山口。