千葉県茂原市教育委員会トンネルのはなし写真でみるもばら風土記シリーズ千葉県茂原市教育委員会1997.03
二宮地区(庄吉・国府関・押日)のトンネル

庄吉・国府関・押日は、住まいのある谷(やつ)と山丘を越えた谷の両方に耕地があるため、トンネルの分布が密である。
山向こうの耕地に行くには、急こう配の坂道を通らなければならない。そのために秋の収穫時の脱穀は足踏み脱穀機を田圃に運んで野扱(のこぎ:脱穀)をした。そして籾だけを家に運び、藁は積んで稲叢(いなむら)にしておき、冬の時期になってから筵(むしろ)、俵(たわら)、縄などの藁加工用に運んだ。トンネルの貫通は、農機具や肥料の運搬を容易にし、施肥も十分に出来るようになり、また、見廻りの回数も増えるなどして増収を見るに至った。

戸田谷(へたやつ)トンネル
1923年(大正12年)に彫られたと言われる戸田谷トンネルは二宮地区でも古い方のトンネルである。当初トンネルを抜けるには坂道を登らなければならなかった。その不便を解消するのに男性の手があく冬場に坂道を削りトンネルの床を下げていった。来る冬も来る冬もその作業を重ねていき、現在見る天井の高いトンネルとなった。

細田トンネル
1900年(明治33年)頃に掘ったトンネルと言われている。水準器は割竹に水を入れた簡単なものであったという。トンネルは緩やかな曲線を描いていて、出口が見えず暗いので、中央付近に電灯が灯っている。曲げて掘ったトンネルは市内では他に見られない。八幡神社側の入り口に、石造りの繭にも俵にも似ている道祖神が祀られ、古くから往来した道であったことを物語る。

この文献を参照している記事

茂原(戸田谷隧道)大正12年貫通。農家の増収に寄与。