上野原町誌編纂委員会上野原町誌 下上野原町誌刊行委員会1975.7
娯楽施設
映画館・劇場等

P.786
大正館
大正元年(1912)に建設。水越福太郎、他14人により株式組織として発足した。当初は寄せとしての機能を果たし、映画のほか、講談、浪花節、落語、義太夫、びわ歌などの演芸も行われている。その頃の映画といえば、「目玉の松ちゃん」などが活躍する時代劇(チャンバラもの)が中心。時には新派劇もあった。観客の層は子供から年寄りまで幅広い。青年男女にとっては数少ない交際の場ともなっていた。当時の観客は、あたかも芝居でも見ているように、スクリーンに向かってヤジを飛ばしたり、拍手をしたりするのが常であった。まだトーキーのない時代のため、スクリーンの横手で弁士が映画説明をした。また、楽団によって映画音楽が演奏された。

遊廓

関山遊廓

明治の中ごろ、上野原宿に一六市が開かれていた。市日ともなると、諸方から絹問屋や仲買い商人のだんな衆が大勢集まる。かれらは取り引きが終わると、その夜は遊興に浸るのが常であった。けれども、たいがいは隣の吉野遊廓(神奈川県藤野町)にくりこで、せっかく当町で取引された金が隣へ流れてしまい、繁栄の妨げとなっていた。
こうして、遊廓が建設されることになったが、町内には、「風紀上よくないから宿から遠ざけろ」といった声があがり、関山に建設された。明治33年12月のことである。
関山遊廓のできた翌年8月に中央線上野原駅が開通した。両所の距離は歩いて5分ぐらいのところ。交通の便を得た関山遊廓はその後全盛を極めた。
昭和21年(1946)年の公証廃止令によって遊廓は表面上消滅したが、実際には特殊飲食店(赤線地帯)として、同様のことが行われていた。終戦直後はもっぱら米兵の慰安所として利用されたが、昭和27年頃から米兵に代わり町内や周辺の人がちで少し賑わいを増したが、昭和33年3月に「買春防止法」の施行によって、全面的に解消されるに至った。