茅野駅近くになる老舗映画館「新星劇場」。2013年11月に閉館しました。*1

建物には、星のマーク。

新星劇場は、邦画が全盛期を迎えていた1957年に、地元有志が出資を募って建てた木造館で、98年からは同市で開いてきた小津安二郎記念・蓼科高原映画祭の主会場の一つとして地域の映画文化を支えました。*1

踏切脇の看板。

【参考文献】
*1 信濃毎日新聞(2013.9.30)「小津映画祭の舞台閉館へ 茅野「新星劇場」半世紀余の歴史に幕」
かつての花街だった茅野駅前の仲町周辺には、スナックが数軒点在しています。

看板建築。

駅前付近。

飲食店やスナックが入居する長屋風の建物。

参考文献
参考記事
今回は、茅野(長野県茅野市)の町並みと風俗を散歩します。
茅野の花街は、旧宮川村地域(現在の宮川町)と旧永明村地域(現在の仲町)にあって、芸妓の派遣先として、永明地域には、「世界」「新来」「真砂」「富士香」、上川橋向こうの宮川地域には、「角屋」「銀水」「二葉料理店」「苦楽園」「金泉料理店」などの料理屋・料亭がありました。花街があった諏訪の4地域(上諏訪、下諏訪、岡谷、茅野)の中でも茅野は、寒天製造業が最も盛んな地域で、茅野の花柳界が最も賑わう時期と寒天の製造時期が結びついていたことから、茅野の芸妓は、「寒天芸者」と呼ばれていました。*1

街灯の看板に「割烹世界」の看板が残っています。

割烹「新来」と思われる建物。

掲示されている案内図で、割烹「新来」の位置を確認できます。

【参考文献】
*1 谷岡優子:関西学院大学先端社会研究所紀要第12号「地方花柳界における〈芸〉と〈色〉-諏訪湖沿岸地域の事例-」P.33-P.34
参考文献
参考記事
岡元町から県道へ抜ける小路。飲食店が2軒建ち並んでいます。

風情のある木造家屋です。

逆方向から。

看板。

参考文献
参考記事
岡元町の旧花街には、スナックが点在しています。
置屋が密集していた新富町のスナック店。

岡元町の通りに面したスナック。

岡元町の通りの中央付近。小柳ビル(旧小柳検番)近くのスナック。

割烹料亭の寿々喜亭の近くのスナック。

戦後になって、新屋敷区(岡元町)内に、風俗営業(赤線)として、さつき、みやこ、ベニス等の店がオープンしましたが、売春防止法施行と共に、廃止となりました。*1
【参考文献】
*1 区誌編集委員会:新屋敷区誌(新屋敷区,2008)P.231
参考文献
参考記事
岡谷の花街において、主な芸妓の派遣先は、小柳、寿々喜亭、信濃屋、みゆき、千成、鳥かつ、山せん、松風亭、などの料理屋、料亭でした。*1

岡元町の南側の通りに、現在も割烹料亭の寿々喜亭が営業中です。向かいには、信濃屋の建物が見えます。

ステンドグラスの装飾。

建物脇の路地。

【参考文献】
*1 谷岡優子:関西学院大学先端社会研究所紀要第12号「地方花柳界における〈芸〉と〈色〉-諏訪湖沿岸地域の事例-」P.34
参考文献
参考記事
昭和8年、岡元町が置屋指定地となってから、逐次置屋ができました。写真は、岡元町の東端の置屋「都」と思われる建物。*1
花街が衰退した後は、旅館みやこ荘に転業しました。*2

当時の屋号が残っています。

実際に置屋が増えてきた段階では、岡元町よりも岡元町と本通り(県道)の間の「新富町」に、多くの置屋が置かれました。東端から、喜仙、瓢家、富乃家、曙、吉住、芳野家、花房家、玉の家、北繁松が建ち並びました。*1

ハートのマークの装飾。

【参考文献】
*1 区誌編集委員会:新屋敷区誌(新屋敷区,2008)P.229,P.232「昭和前期の芸妓置屋等配置図」
*2 岡谷市下諏訪町住宅明細地図(1970)P.18
参考文献
参考記事
今回は、岡谷(長野県岡谷市)の町並みと風俗を散歩します。
岡谷の花街の誕生までには、幾多の屈折がありました。明治37年7月、平野村内の手塚茂太郎氏ほか20名から芸妓置屋営業免許指定地出願が出されましたが、風俗上害があり、反対する立場と、街発展上賛成という立場がぶつかりあい、長い間停滞していました。*1
昭和4年の昭和恐慌のとき、不況対策と結びつけ税収もあり、街の活性化にもつながると強調され、昭和8年12月、ついに県から許可が出され、平野村岡元町が芸妓置屋の指定地となりました。*1
岡元町は、現在の県道の新屋敷バス停留所から南側へ入ったところです。

現在小柳ビルがある場所には、小柳見番と置屋の嘉美野家がありました。*1

岡元町の西のはずれに位置する老舗のすき焼き店「美好」。
ここには、三好検番がありました。*1

【参考文献】
*1 区誌編集委員会:新屋敷区誌(新屋敷区,2008)P.229,P.232「昭和前期の芸妓置屋等配置図」
参考文献
参考記事
須坂の青木新道には、飲み屋街が形成されていて、青木新道からトテ馬車(人を乗せる馬車)が出ていました。1

青木新道は、かつて、赤線・青線地域で、7,8軒の店が並んでいました。1

現在の青木新道には、古びたスナックの建物が残っています。

青木新道の赤線・青線は、昭和32年の売春防止法の施行により廃止となりました。*1

上中町の交差点の南側。国道406号線沿いの時計や人形屋の間の路地。

昔の雰囲気が残る路地です。

くの字型に曲がりながら続いています。

木造母屋の前を通りぬけると反対側の道路へ出ます。
