須坂(君が湯)平成になって閉鎖。

うきよ小路の奥まったところにある、銭湯の「君が湯」

汲み井戸や共同水道しかなかったころは、バケツで水を運ぶ仕事は子供の仕事で、共同水道から家の風呂まで何度も往復して風呂に水を入れました。もらい湯といって、隣近所で声を掛け合い、もらい湯に行ったり来たりし、濃密な近所付き合いの家族ぐるみの交流の場でした。1
近隣の人々は「君が湯」という銭湯へいった。「君が湯」は平成になって、閉鎖され煙突も撤去された。
1
玄関付近。

参考文献

*1
須坂市誌第2巻地誌・民俗編2014
町のくらしとにぎわい
P.488 汲み井戸や共同水道しかなかったころは、バケツで水を運ぶ仕事は子供の仕事で、共同水道から家の風…

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須坂(浮世橋)花街への入口

うきよ小路の入口。

欄干に「浮世橋」彫られた石橋が残されています。

かつての用水の跡。
町屋の裏側を流れるので、「裏側用水」と呼ばれていました。(案内板より)

左側の欄干には、「うきよばし」、反対側には、「昭和二年六月」と彫られています。

参考文献

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上田(浮世橋)遊廓への道。旧北国街道沿い。

須坂(うきよ小路)料亭「とよ松」

須坂の花街の全盛期は、昭和の初期のころで、上中町のうきよ小路沿いには、芸者衆を抱える置屋軒を連ねていました。戦後、昭和30年代は、戦後の花街の最盛期で、花街の芸者の名入りの手ぬぐいタオルが配られていました。戦時中に疎開してき富士通が電話器製造などで最盛期を迎えていたのもこの時期でした。*1

現在のうきよ小路は、、料亭「とよ松」の建物など、当時の小路の雰囲気が残されています。

うきよ小路の案内板。

須坂の芸者衆も昭和から平成に変わる頃には、徐々にその数が減り始め、長野からコンパニオンを呼ぶようにもなり、平成10年頃には、座敷に揚がる芸者は姿を消しました。

【参考文献】
*1 須坂市誌編さん室 編.  須坂市誌 第2巻 地誌・民俗編(須坂市,2014)P.492-494

参考文献

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須坂(東京庵)明治時代の創業

劇場通りにある東京庵。明治時代創業の老舗食堂です。

木造三階建て。

玄関脇に、ひょうたんの意匠。貼り紙によると、冷やし中華は、店主自慢のメニューです。

冷やし中華とビールを注文。

参考文献

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須坂(劇場通り)須坂劇場があった通り

須坂の劇場通り商店街(以下、劇場通り)は、須坂駅の南東約1kmのところにあって、全長は約500mです。劇場通りの入口には、商店街協同組合が設置したアーチがあります。劇場通りは、須坂劇場が昭和50年頃まで立地していた通りです。1

金物屋の建物。

食料品、理容・美容、飲食、クリーニング、靴、薬・化粧品、花卉、衣料品などの商店が建ち並んでいます。
1

反対側(南側)のアーチ。

参考文献

*1
須坂市誌第2巻地誌・民俗編2014
町のくらしとにぎわい
P.488 汲み井戸や共同水道しかなかったころは、バケツで水を運ぶ仕事は子供の仕事で、共同水道から家の風…

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須坂(かなめ町通り)かつての赤線街

今回は、須坂(長野県須坂市)の町並みと風俗を散歩します。
須坂駅前の「かなめ町通り」は、飲食店が連なる通りです。
かなめ町(要町)は、赤線・青線地域で、34,5軒の店が並んでいましたが、これらの店は昭和32年の売春防止法の施行により廃止となりました。また、昭和の戦時中まであった共栄館という映画館は、戦後はダンスホールに生まれ変わり、昭和27年頃まで続きました。当時ダンスホールは、不良の溜り場などと陰口をいわれたこともありました。昭和の中頃は、若者たちは、要町で吞むことが多く、駅前は、昭和40年代までは富士通に通勤する人々で賑わっていましたが、昭和50年頃からバスで富士通の工場まで送迎されるようになってから、賑わいも減っていきました。*1

現在のかなめ町通りは、スナックが複数店入居する商業ビルなど、飲食街の賑わいをたもっています。

かなめ町会館。

スナックの看板。

参考文献

*1
須坂市誌第2巻地誌・民俗編2014
町のくらしとにぎわい
P.488 汲み井戸や共同水道しかなかったころは、バケツで水を運ぶ仕事は子供の仕事で、共同水道から家の風…

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湯田中(パチンコ店)金の玉。

新湯田中温泉の繁華街にあるひと際目立つオレンジ色の建物。

パチンコ店だったようです。

パチンコ「金の玉」の看板。

現在は、金の玉は無く、スナック店になっています。

参考文献

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湯田中(温泉街のスナック)YOU遊街

新湯田中温泉の入口付近にある通称「YOU遊街」と呼ばれるスナック街。

レトロなスナック店が密集しています。

1階がスナックの店舗の2階部分の看板。旧店名の看板が残っています。

水着姿の女性。

参考文献

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湯田中(清風荘)内部に遊廓時代の名残。

旅館の清風荘。改築されていますが、遊廓時代の風情のある建物です。

地元の方の話によると、中庭に湯小屋がある構造は遊廓時代の名残だそうです。

中庭の奥に見える蔵のような建物は、宴会用の座敷です。蔵を改良して座敷にしたのではなく、最初から蔵のような座敷として作られました。

茶室として使われていた部屋。

参考文献

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湯田中(遊廓跡地)この道路の両側に遊廓が建ち並んでいました。

かつての湯田中遊廓の通り。地元の方の話によると、この道路の両側には遊廓がびっしりと建ち並んでいたとのこと。道路は、はじめ私道でしたが、私道だと除雪してくれないので、皆で話し合った結果、町に寄付して公道にしてもらったそうです。湯田中遊廓は、踊りや三味線などの芸を披露する宴席だったそうです。

通りの中でも最大級の旅館。

かつての妓楼の屋号がそのまま残る白雪楼。

現在は、旅館が建ち並んでいます。

参考文献

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