今回は、湯田中(長野県下高井郡山ノ内町)の町並みと風俗を散歩します。

湯田中新地の入口に位置する三社信者は、湯田中新地の守護神です。

祠脇の池の中央の石。

三社神社の西側に湯田中遊廓がありました。*1

【参考文献】
*1 東京交通社:大日本職業別明細図 長野県(東京交通社,1926)
中世の時代より、敦賀と琵琶湖を運河で結ぼうという計画が何度も試みられました。敦賀港に近い児屋川の河口には、運河の雰囲気が残っている場所があります。

写真右側が水路。左側が船溜まりです。

舟小屋。

南側へは水路が続いています。

参考文献
参考記事
敦賀に老舗洋食店「ヨローッパ軒」。

入口を入った1階には、「ご自由にお持ち帰りください」と書かれた古い食器類が陳列されています。

「ヨローッパ軒」と言えば、ソースカツ丼が名物です。

大盛りを注文。物凄いボリュームです。

参考文献
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敦賀市津内町にある銭湯のサフラン湯。

「サフラン湯」と書かれた煙突。

風情のある暖簾。入口正面には「いらっしゃいませ」の看板。

脱衣場。畳のスペースがあって落ち着きます。

参考文献
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敦賀の遊廓の歴史は古く、慶長10年(1605年)頃、川中の上嶋町の遊女たちが、三ツ屋町と六軒町に移されとことに始まります。*1
六軒町、新町、三ツ屋町、森屋敷町は、敦賀の川向花街の四ヶ町を形成し、四丁町といわれていました。*1*2
場所は、現在の天満神社周辺(栄新町1)です。*3

六軒町は、始め青楼が六軒あったから、その町名になったと伝えられ、「洞房語園」は全国で7番目の遊廓として敦賀六軒町をあげ、また「色道大鏡」*4 も「敦賀の遊廓は六軒町といふ。挙げ屋(揚屋)の居る所を、みつやといふ。」と書いています。*1

天満神社の東側に位置する新町には、出口楼、新月楼、品の家、中たみ楼、三河や、福寿楼、中駒、安本楼、安房楼、などがありました。*5
また、昭和31年の市街図*6 によると、この付近に、「敦賀特殊料理店」の記載があります。戦後も花街として続いていたようです。

三ツ屋町、森屋敷町があったと思われるあたり。*3*5

【参考文献】
*1 山本晴幸:旧町名から見た敦賀の歴史(日本海地誌調査研究会,2011)P.66-69
*2 吉田喜太郎:敦賀を繞ぐる人物品さだめ(敦賀新聞社,1936)P.120
*3 気比史学会:いま甦るみなとまち敦賀の町並み(気比史学会,1988)昭和20年7月12日戦災時の復元地図
*4 藤本箕山,新版色道大鏡刊行会:色道大鏡.新版(八木書店,2006)P.378
*5 敦賀市北地区老人クラブ連絡協議会:敦賀のふるさと北(敦賀市北地区老人クラブ連絡協議会,1984)
*6 中部職業交通社:福井縣敦賀市全図(中部職業交通社,1956)
参考文献
参考記事
「敦賀赤レンガ倉庫」は、1905年に石油貯蔵用の倉庫として建設されたレンガ建築物で、2015年10月に敦賀の観光施設でオープンしました。*1

館内には、敦賀の最盛期(明治後期~昭和初期)の街並みを再現したジオラマが展示されています。*1

案内板によると、赤レンガ倉庫の裏側(天満神社の隣)は花街でした。

当時の花街の様子が再現されています。

【参考URL】
*1 敦賀赤レンガ:公式ホームページ
参考文献
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今回は、敦賀(福井県敦賀市)の町並みと風俗を散歩します。

駅構内に「小便小僧の敦(とん)ちゃん」の像が設置されています。

箱庭のような空間。

横から。

参考文献
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吾妻町のそば屋の「御清水庵」から細い道を南に入ると、お清水通りです。通りには、御清水不動明王(写真左手前)があって、ここから湧き水が流れ込み、当時は風流な船遊びができる場所でした。*1

旧料亭の多葉喜(泉風楼)。*1

入口付近。

御清水不動明王に掲示されている当時の泉風楼の写真。沼地を前にした洒落た料理店でした。

【参考文献】
*1 徳山孝:続 武生のまち並み(徳山孝,1997)P.53
参考文献
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武生の天王町に、趣のある細道があります。

細道の両脇には、料亭「春駒」「京家」が建ち並んでいます。

入口。

老舗料亭外観。

参考文献
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武生の京町は古くからの佇まいが残る商店街です。木造三階建ての建物もあります。(写真右手前)

美容室の建物。

ブロック塀でデザインされています。

美しいウエーブは女の浪漫です。
