塩釜の花街(赤線地帯)は、塩釜神社表坂を中心とした西町、仁井町、釜の前と点在していました。*1

昭和初期の地図を見ると、表坂に、大浦屋、田中屋、西町に、塩浦楼、花月楼、福二楼など、遊女屋と思われる屋号が確認できます。*1

昭和31年に売春防止法が成立し、昭和33年、塩釜最後の遊女屋、市川楼が廃業となり、赤線地帯は無くなりました。*1

市川楼があったあたり。*1

【参考文献】
*1 庄子洋子:塩竈ものがたり(庄子洋子,2007)P.2-P.3,附図「思い出の町並み 昭和初期塩釜市街地」
塩釜の花街(赤線地帯)は、塩釜神社表坂を中心とした西町、仁井町、釜の前と点在していました。*1

昭和初期の地図を見ると、表坂に、大浦屋、田中屋、西町に、塩浦楼、花月楼、福二楼など、遊女屋と思われる屋号が確認できます。*1

昭和31年に売春防止法が成立し、昭和33年、塩釜最後の遊女屋、市川楼が廃業となり、赤線地帯は無くなりました。*1

市川楼があったあたり。*1

【参考文献】
*1 庄子洋子:塩竈ものがたり(庄子洋子,2007)P.2-P.3,附図「思い出の町並み 昭和初期塩釜市街地」
今回は、塩釜(宮城県塩釜市)の町並みと風俗を散歩します。
塩釜神社前の通りには、塩釜にちなんだ石碑が並んでいます。

井原西鶴の「好色一代男」巻三の「口舌の事ふれ」に塩釜が登場します。
仙台藩内での遊女町は、万治年間(1658-1660年)に禁じられていましたが、港町であった塩釜と石巻は黙認されていました。文化文政(1804-1829年)の記録では、塩釜には、216人の遊女と26軒の遊女屋、14軒の小宿屋敷がありました。好色一代男が描かれた天和2年(1682年)には、塩釜がすでに遊女町として知れ渡っていたことが伺えます(案内板より)。

塩釜甚句が、歌われるときは、芸妓などにより威勢のいい振付の踊りが演じられます。塩釜甚句のもとになった「アイヤ節」は、九州天草地方で歌われていた「ハイヤ節」*1 が、日本海を北上し太平洋沿岸に移入されたものです(案内板より)。

塩釜甚句の歌詞には、仙台街道(塩釜街道)を塩釜に向かう旦那衆が遊女に恋い焦がれる心情や三味線、太鼓の音で賑わっていた塩釜の様子を伺うことができます(案内板より)。

【参考記事】
*1 風俗散歩(牛深):ハイヤ節の碑(2012.8)
千厩の小角食堂は、大正14年創業。

店内は、レトロな雰囲気です。
名物のあんかけかつ丼は、テレビ、新聞、雑誌等で幾度となく取り上げられました。(店の貼り紙より)

あんかけかつ丼(850円)を注文。味は、ソースかつ丼と同じですが、ソースがあんになっているのが特徴です。

店の裏口。駐車場からのお客様は、こちらから入ります。

夫婦岩の脇の階段を登って彌榮神社の鳥居をくぐると、小さな広場に出ます。

子宝明神と書かれた祠の中に、男根が見えます。

木製の会陰。

祠の後側に残る朽ち果てた木製の男根。

彌榮神社がある場所に、町のシンボルとも言える夫婦岩があります。

巨大な男石。亀頭部分に鉢巻がまかれています。

女岩。

階段を登って上から見ます。男岩と女岩は、お互い寄り添うように仲良く並んでいます。

今回は、千厩(せんまや、岩手県一関市)の町並みと風俗を散歩します。一関からJR大船渡線で気仙沼方面へ向かって50分。千厩駅で下車します。

駅前の自販機の脇に、白ポストが設置されています。

箱の側面。「少年に見せたくない本や雑誌をこの中に入れましょう。」と書かれています。

箱の下部の取り出し口。

磐井川を渡ったところの山目市民センターの隣に小さな神社(八雲神社)があります。

ここに、かつての花川戸遊廓の遊女達が信仰した道祖神があります。*1

この道祖神(男根神)は、かつての花川戸遊廓の恵比寿楼の隣にあったものでです。*1

お堂に安置されている男根。

【参考文献】
*1 花川戸遊児:いちのせき花柳界と花川戸遊廓(さとうまさはる後援会,2007)P.40
一関駅の北側。線路沿いに昭和を思わせる小路があります。

入口には、「ひぐれ小路」のゲート。

居酒屋やスナックが建ち並びます。

めぐり逢い。

東地主町の食堂「大黒家」脇の路地を入ると、クランク状の小路の両側にスナック店が建ち並びます。

こじんまりとした飲食小路です。

BAR「真知子」の看板。

鏡張りの店舗。

一関市街の北側。今泉街道に近い大町7丁目。飲食店が散在しています。

風俗店だったと思われる建物が残されています。

現在は休業中です(「テナント募集」の貼り紙)。

サロン「マキシム」の看板。
