輪島(料理屋の建物)茶屋街のような雰囲気。

今回は、輪島(石川県輪島市)の町並みと風俗を散歩します。
輪島町遊廓は、重蔵神社の東隣にありました。*1*2
現在、この界隈には、料理屋のような建物建ち並んでいます。茶屋街のような雰囲気が残されています。

三味線通りと呼ばれたメインストリートの奥まったあたりにある建物。

茶屋街のような雰囲気です。

玄関付近。

【参考文献】
*1 東京交通社:大日本職業別明細図(東京交通社,1937)第二五七號 石川懸
*2 輪島男兒尋常高等小學校:輪島大火記録(輪島男兒尋常高等小學校,1910)「火災後の輪島河井町」

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和倉温泉(旧検番付近)道路が曲がりくねっていて、情緒ある町並み。

青林寺の北東側の旧検番があったと思われるあたりは、道路が曲がりくねっていて、情緒ある町並みです。

美容室脇の路地は、スナック街「湯の町センター」に通じています。

美容室の建物は、隣の3階建ての建物とつながっていて、さらに旅館「おくだや」の建物とつながっています。

旅館「おくだや」の通り、ゆるやかなカーブを描いて温泉街につながっています。

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和倉温泉(有楽街)歓楽街の名残。湯の町センター。

温泉街には、かつての歓楽街の名残が見られます。

スナック街「湯の町センター」の建物。建物脇の路地を抜けて通りの反対側へ通じています。

有楽街。

飲食店のアーケードです。

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和倉温泉(検番跡の案内板)和倉検番跡地。和倉芸妓の説明。

今回は、和倉温泉(石川県七尾市和倉町)の町並みと風俗を散歩します。
温泉街の道路から南へ入った駐車場脇に「和倉検番跡」の碑と案内看板が建てられています。

この場所に(有)和倉検番があったようです。

和倉芸妓の歴史など詳細の説明があります。

温泉街の当時の地図。旧検番は、この場所ではなく、青林寺の北東側にありました。

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八木山(八木山鉱泉)宿泊施設も併設。割烹の並び。

八木山の割烹の並びにある銭湯の「八木山鉱泉」。

県の名水の指定を受けているそうです。*1

宿泊施設も併設されています。

道路側からの遠望。

【参考URL】
*1 富山県公衆浴場業生活衛生同業組合ホームページ 八木山鉱泉

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八木山(「重家」跡)昭和10年代から続く割烹

「八木山の滝」の入口の右側のもう1軒、料理旅館の重厚な建物が残っています。

昭和10年代から続く割烹の「重家」。*1

売春防止法実施後は、「池田家」「吾妻家」「重家」の3軒が老舗として八木山の伝統を守り、営業を続けていました。*1

「八木山の滝」からの遠望。

【参考文献】
*1 八木山郷土史編集委員会:八木山郷土史(八木山郷土史編集委員会,1993))P.119-P.125

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八木山(吾妻屋)かつての料理旅館。八木山の滝の入口の両側。

「八木山の滝」の入口の両側に、かつての料理旅館の建物が残っています。*1
八木山の花街は、明治の初期、「八木山の滝」の水を用いて温浴旅館を開業し、大正3の頃、二業組合が設置されたのが始まりでした。昭和の頃は全盛となり「八木山遊郭」と呼ばれるようになりました。*2

大正14年から続く割烹の「吾妻屋」。*2

建物の側面。写真右側は「八木山の滝」です。

趣のある入口。

【参考文献】
*1 加藤政洋:現代風俗2002 20世紀の遺跡,「消えゆく花街の景観、廓建築の痕跡」P.44-P.45
*2 八木山郷土史編集委員会:八木山郷土史(八木山郷土史編集委員会,1993)P.119-P.125

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八木山(八木山の滝)県下を代表する避暑地。花街としての役割。

今回は、八木山(富山県富山市八木山)の町並みと風俗を散歩します。
八木山(やきやま)は、高山本線笹津駅から越中東街道(国道41号線)を2kmほど北上したとこにあります。
「八木山の滝」と呼ばれる公園があり、昭和戦前期には、県下を代表する理想的な避暑地として三本の指に入るほど有名なところでした。*1

「八木山の滝」は、明治初期に開発された人造の「瀧」を中心とする公園で、大正期に料理屋を兼ねた旅館の組合が組織され、花街の役割を果たしていました。*1

八木山の瀧の由来の案内板。

案内板がある場所の上部に、落差の大きな人造の滝があります。

【参考文献】
*1 加藤政洋:現代風俗2002 20世紀の遺跡,「消えゆく花街の景観、廓建築の痕跡」P.44-P.45

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八尾(無縁仏)お参りすると勉強ができるようになるという評判。

旧末広亭横にあるお墓は、むかしから身寄りのない人のお骨が納められたと伝えられています。

明治の後半に入ってこの地が遊廓街になると、たくさんの芸者さんたちや彼女らが生んだ子供(水子)もこのお墓に入れられていました。昭和20年代の頃、このお墓にお参りすると勉強ができるようになるという評判がたち、願いをかけに多くの受験生やその家族がお参りにきました。*1

墓石の側面には「有縁無縁法界万零」。

裏面には、「天保三辰」と刻んであります。天保三年(1832年)は辰年で、天保14年の八尾絵図にも今の場所に石塔として描かれています。

【参考文献】
*1 鏡町公民館建設委員会記念誌編集部会:鏡町のあゆみ(鏡町公民館建設委員会記念誌編集部会,2005)P.53

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八尾(料理屋跡)スナックが併設。旧末広亭、喜良久。

八尾の旧遊廓街には、料理屋と思われる建物も残っています。旧「末広亭」。無縁仏の近くにあります。*1

坂の上にある旧「喜良久」。*1

スナックが併設されています。

「喜良久」の横の坂を下ると「末広亭」のある場所に行きつきます。

【参考文献】
*1 鏡町公民館建設委員会記念誌編集部会:鏡町のあゆみ(鏡町公民館建設委員会記念誌編集部会,2005)附図「鏡町繁盛図」

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