熱海の糸川べりには、歓楽街の名残を感じさせるスナックなどの建物が残っています。

建物の角の部分の装飾。

側面部分。入口のドアは斜めに取り付けられています。

スナックの看板。

熱海の糸川べりには、歓楽街の名残を感じさせるスナックなどの建物が残っています。
建物の角の部分の装飾。
側面部分。入口のドアは斜めに取り付けられています。
スナックの看板。
熱海市渚町は、居酒屋やスナックなどが建ち並ぶ繁華街です。
趣のある呑みや小路の入口。
入口のスナックとバーの看板。
看板の反対側。
熱海市街の中央を南北に貫く商店街の「熱海銀座」。
商店街に面して、ストリップ劇場の「熱海銀座劇場」があります。
「StripShou(ストリップショー)」の看板。よく見ると、「Show」ではなく「Shou」です。
建物の名称は「銀座ビル」。ビル内にスナックの店舗も入居しています。
今回は、熱海(静岡県熱海市)の町並みと風俗を散歩します。
JR熱海駅近くの商店街に昔懐かしい雰囲気のパチンコ屋があります。
残念ながら、すでに閉店しまっているようです。
レトロ感のある店構えです。
温泉街にはつきもののスマートボールもたのしめたようです。2000年の正月のポスターが貼られていることから、閉店は2000年頃であったと推察されます。現在まで15年間、このままの状態で残されているようです。
藤枝市街にある飽波神社。
狛犬の台座には、「藤枝町料業理組合」の名があります。
台座の裏側には、料亭屋の名前が刻まれています。
魚金楼、魚安楼などの名があります。
魚安楼(うおやすろう)は、藤枝静男の親戚にあたり、明治期の藤枝宿を代表する料亭でした。*1
藤枝静男の小説「硝酸銀」の中で料亭「魚宗楼」として登場します。*2
藤枝静男は、「硝酸銀」その他の作品で、魚安楼一族に流れる性的乱脈、淫蕩の血をあますところなく書きました。*3
【参考URL】
*1 藤枝市郷土博物館・文学館:小川国夫の書斎イメージ再現と新収蔵品資料展 藤枝宿の料亭「魚安楼」の徳利
【参考文献】
*2 講談社:現代の文学.10 (藤枝静男,秋元松代)P.109-P.144 硝酸銀
*3 藤枝静男:或る年の冬或る年の夏(講談社,1993)P.237 川西政明「解説 藤枝静雄の死ののちに」
藤枝新地近くには、スナックが点在しています。
新地の南側の入口。
新地の北側の入口の通りには、カフェーが建ち並んでいました。*1
写真左側の空地には、銭湯の千歳湯、旅館ホワイト(旧保和糸料理店)がありました。*1*2
藤枝市出身の作家、藤枝静雄の小説*3に登場する遊廓の入口のカフェはこの付近であったと思われます。
カフェ・ホワイトは、洋酒とエプロン姿の女給といった新形式の社交場でした。藤枝で最初のカフェとして、昭和24年4月に遊廓の入口付近に開店しました。*4
【参考URL】
*1 有限会社 佐野石材:藤枝宿 歴史 「昭和10〜20年頃 藤枝・新地界隈覚え」藤枝文学舎を育てる会 作成
【参考文献】
*2 大畑宜吉:藤枝市明細図(東海地図出版社,1957)P.9
*3 藤枝静男:或る年の冬或る年の夏(講談社,1993)P.58,P.69
*4 八木洋行,野本寛一:写真集明治大正昭和藤枝(国書刊行会,1980)P.105
明治37年1月の火事で全焼した上伝馬町の遊廓に代わって、新たに「新地遊廓」が公認されました。入口には、大門があって、清水屋、千葉屋などが有名でした。*1
1958年の住宅地図*2 の広告欄に記載の割烹旅館「山泉」に新地と書かれていることから、山泉旅館があった場所が新地だったようです。
山泉旅館があった敷地の裏側。
電柱の「新地」のプレート
【参考文献】
*1 静岡郷土出版社:目で見る志太100年史(静岡郷土出版社,1990)P.62
*2 大畑宜吉:藤枝市明細図(東海地図出版社,1957)P.9,P.36
藤枝宿の食売旅籠は、栗田屋、鈴木屋、山城屋、みそや、なべ屋、武蔵屋、まるや、油屋、江戸屋、鍋屋、笑子(えびす)屋、村田屋、山中屋、の13軒を超えていました。*1
写真は、武蔵屋、まるや、油屋があったあたり)*2
現在の商店街の中心部。みそや、なべ屋、がありました。*2
栗田屋、鈴木屋、山城屋、があったあたり。(写真左は、新明宮。)
東大サッカー部の記録*3 によると、昭和33年の第38回全日本選手権(天皇杯)が藤枝で開催され、そのときの東大サッカー部の宿泊所に、売春防止法で商売換えをしたばかりの十九万(トクマン)というお女郎屋さんが割り当てられました。
割烹・旅館「十九万」があったあたりは、現在はマンションに建て換わっています。*4
【参考文献】
*1 江戸町名俚俗研究会:地方図特集2 東海道藤枝宿町並明細図 東海道島田宿家並明細図 東海道袋井宿略図及青楼変遷図 ほか2編(江戸町名俚俗研究会,1966)P.6
*2 野本寛一,八木洋行:ふるさと百科藤枝事典(国書刊行会,1984)P.28
*3 東京大学運動会 ア式蹴球部:闘魂(東京大学運動会 ア式蹴球部,1988)P.59-P.61 小山富士夫「農学部の合宿所」
*4 大畑宜吉:藤枝市明細図(東海地図出版社,1957)P.9
今回は、藤枝(静岡県藤枝市)の町並みと風俗を散歩します。
江戸時代の藤枝宿は、大井川の川留めが解けると川越で繁盛した宿場町で、旅籠屋には当然飯盛女もいました。*1
現在の上伝場町付近が藤枝宿の中心でした。
問屋場跡。現在は藤枝交番になっています。
ふとん店の艶っぽい看板。
【参考文献】
*1 今井金吾:今昔東海道独案内(日本交通公社出版事業局,1994)P.131-P.132
竹鼻町では、木製の消火器箱をあちこちで見かけます。
軒下に取り付けられた大型の木箱。
大型のホース収納庫。
竹鼻町東町のホース置き場。表面がガラス張りなので、中身のホースの様子がよく見えます。