遠矢(釧路川沿いのホテル)JR釧網本線の踏切。

「ホテルローヤル」の建物は現在は無くなっていますが、付近には、2軒のラブホテルが営業中です。場所は、JR釧網本線の踏切(遠矢駅数えて4番目)を渡ったところ(「ホテルローヤル」があった高台の下)です。*1

高台からの眺め。

遠矢駅数えて2番目の踏切。

踏切を渡った先に、「ホテル静」*2 の遺構と思われる「入口の門」があります。

【参考文献】
*1 国土地理院:遠矢1:25000地形図(国土地理院,2009)
*2 ゼンリン:釧路郡釧路町(ゼンリン,1987)P.20

参考文献

参考記事

遠矢(「ホテルローヤル」跡)直木賞受賞作の舞台。

「ホテルローヤル」は、小説「ホテルローヤル」が発表された2013年1月の直前に廃業しました。*1
現在、建物は無くなっていて売地になっています。

舗装されている部分が東側に残っています。ここがホテルへの入口だったのでしょうか。

「山の方にあった『ホテルローヤル』って知ってるか」
「ええ、近くにお墓があるところでしたね」
第2話「本日開店」の主人公の幹子は、貧乏寺の住職の夫人で、寺を維持してゆくために、檀家の男たちと寝ることが当たり前になっている常識はずれの話です。*2
このお墓のことかどうかは不明ですが、近くに「床丹墓地」があります。

第7話「ギフト」では、主人公の大吉が己の夢を託してラブホテルを開業しようとします。
「るり子、すげぇだろうこの景色。ここにラブホテルなんか建てちゃったら、みんな列を作って遊びに来ると思わねぇか。」*2
「ホテルローヤル」跡の西側には雄大な釧路湿原の景色が広がっています。

【参考文献】
*1 桜木 紫乃:青春と読書48(1)(集英社,2013.1)P.18-P.21 インタビュー『ホテルローヤル』刊行記念 自分の思う理想の一編が書けたと思います
*2 桜木紫乃:ホテルローヤル(集英社,2015.6)P.50,P.183,P.213

参考文献

参考記事

遠矢(「ホテルローヤル」への道)直木賞受賞作の舞台。

今回は、遠矢(とおや、北海道釧路郡釧路町)の町並みと風俗を散歩します。
桜木紫乃さんの小説「ホテルローヤル」(第149回直木賞受賞作)は、釧路郊外にあった実名のラブホテルが舞台とした7つの短編から成っています。*1
JR釧網本線の遠矢駅から国道を南下すると、随所に踏み切りがありますが、遠矢駅から数えて5番目の踏切のあたり*2 は釧路湿原と国道が接しており、このあたりが原作*3 で登場する「湿原脇の国道」と考えられます。

第1話の「シャッターチャンス」に登場する踏切と思われる場所。
「車は湿原脇の国道を右へと曲がり、踏切を超えて坂道を上った。」*3 ということは、釧路市街方面から国道を北上し、この踏切を右に曲がったのだと思います。

踏切を超えて坂道を上ります。

古い住宅地図*4 によると、坂を上り切ったあたり(住所:釧路町別保原野南19線)に、「ホテールローヤル」がありました。

【参考文献】
*1 桜木 紫乃:青春と読書48(1)(集英社,2013.1)P.18-P.21 インタビュー『ホテルローヤル』刊行記念 自分の思う理想の一編が書けたと思います
*2 国土地理院:遠矢1:25000地形図(国土地理院,2009)
*3 桜木紫乃:ホテルローヤル(集英社,2015.6)P.13
*4 ゼンリン:釧路郡釧路町(ゼンリン,1987)P.27

参考文献

参考記事

士別(花街跡)現在はスナック街。極端な看板建築。

第一次世界大戦の好景気に支えられ、士別市街には、12軒の不夜城が軒を並べました。美濃家、都亭、大正軒、松月亭、竹の家、清川、日の出庵、松の家、吉野亭、喜楽亭、いたみや、東京亭などが数えられ、これらの酒楼には芸妓22人、酌婦42人を擁しました。*1

料亭「松の家」があったあたり*2 は、スナック街になっています。

花街の風情は現在はありません。

横から見ると、極端な看板建築であることがわかります。

【参考文献】
*1 東京交通社:大日本職業別明細図(東京交通社,1937)第385號
*2 士別市:士別市史(士別市,1969)P.945

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士別(寿センター)横丁風のビル。サッポロビールの大看板。

大通東7丁目にある寿センター。スナックや居酒屋が集積する横丁風のビルです。

サッポロビールの大看板。

昭和9年の市街図*1 によると、この付近は「壽町」と呼ばれていました。

夜の寿センター。

大正時代、士別にも遊廓の開業計画があり、その場所は寿町と予定されましたが、実現されませんでした。これは、隣接遊廓との距離制限があって、旭川遊廓から二十里(80キロ)以上はなれていなければならぬ、という規制があったためです。*2*3
【参考文献】
*1 東京交通社:大日本職業別明細図(東京交通社,1937)第385號
*2 士別市郷土研究会:士別よもやま話 続(1977,士別市郷土研究会)P.120
*3 泉真泉,荒川荊城:士別発達史(士別発達史編纂事務所,1914)P.127

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士別(すずらん街)アーチ型の看板が連続。

士別市の歓楽街(東1条5丁目)。「すずらん街」と書かれたアーチ型の看板が連続しています。

スナックや居酒屋などのカラフルな建物が建ち並びます。

歓楽街を西側へ回り込んだあたり。

広告看板が連なっています。

参考文献

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士別(スーパーマン像)足元には、ソフトクリーム。

士別の国道40号線沿いの喫茶店。

店の前に等身大のスーパーマン像。足元には、コンクリートブロックとソフトクリーム。

スーパーマンは、惑星クリプトンからの遺児で、普段は新聞社デイリープラネット社で記者として働いているという設定です。

2階には、ギターを演奏する女性のフィギュア。

参考文献

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士別(つくも横丁)三角屋根の横丁。た商業ビルにつながっています。

今回は、士別(北海道士別市)の町並みと風俗を散歩します。
JR北海道宗谷本線の士別駅を下車し、東側へ300mの大通西8丁目に三角屋根の横丁の建物があります。

つくも横丁。

「つくも横丁」は、国道40号線に面した商業ビル「サンシャイン8ビル」につながっています。

夜の「つくも横丁」。

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焼尻(焼尻郷土館)道指定有形文化財の小納家の建物。有田焼の便器。

焼尻郷土館は、道指定有形文化財の小納家の建物をそっくりそのまま郷土館として解放しているものです。洋風の木造建築です。

トイレも当時のまままです。

有田焼の便器。

大便器の装飾も見事です。

参考文献

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焼尻(遊廓跡地)ハート柄の急な坂道を登ると、かつての歓楽街。

昭和の初期、焼尻島は、にしん景気で笑いが止まらない時期がありました。昭和8,9年の羽幌町の記録によると、にしんの水揚げが年間1億円を越し、漁民のタンスは札束でぎっしり詰まってしまい、人口3000人のこの小島に料亭や飲み屋が13軒もでき、酌婦の数も40人を越しました。*1

地元の方の話によると、ハート柄の急な坂道(1枚目の写真)を登り 、厳島神社へ向かう坂道の手前を右折した工兵街道記念碑に至るまでの道*2 は、かつての歓楽街で、映画館や遊廓もあったそうです。遊廓は、昭和33年まで続きました。

かつての遊廓跡*3 を偲ぶものは残っていません。

建物の合間からの遠望。

【参考文献】
*1 茂木慎雄,柞木田竜善:島への旅行案内(秋元書房,1962)P.24
*2 羽幌町観光協会:公式ホームページ「天売島・焼尻島手書きまっぷ
*3 北海道新聞社:「フォト海道」写真データベース「羽幌町 焼尻の遊郭跡

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