駅前のみつわ通り商店街の奥。商店もまばらになり、事務所のビルが建ち並びます。

商店街の中ほどにあるスナック店。

テレクラ「てれ魔くん」。

18歳未満は入場おことわりです。

駅前のみつわ通り商店街の奥。商店もまばらになり、事務所のビルが建ち並びます。
商店街の中ほどにあるスナック店。
テレクラ「てれ魔くん」。
18歳未満は入場おことわりです。
今回は、小山(栃木県小山市)の町並みと風俗を散歩します。
小山駅の東口と西口には3階(改札階)と1階(地上階)を結ぶエレベータが設置されています。
小山駅構内には、東西を貫通する自由通路とエレベータがあって、自転車利用の通行者が頻繁にエレベーターを利用します。エレベータの利用者を待ち構えるように、白ポストが置かれています。
どっしりとした角形の白ポスト。
エレベータ利用者に狙いを絞った白ポストの設置事例と言えそうです。
鬼脇市街には、随所に消火栓が設置されています。
赤い、台形の木箱です。
防火槽。
給水バルブも同じ目印の台形の赤い木箱です。
鬼脇にある日蓮宗妙泰寺。
かつて、境内には大正初期に建立された秋田谷稲荷明神の稲荷堂があり、鬼脇の遊廓の遊女が信仰していた時期がありました。*1
現在、妙泰寺の境内には、平成十年に新築された稲荷神社があります。
鳥居の奥に小さな稲荷堂があります。
【参考文献】
*1 工藤浄真:利尻研究(1986.05)P.11-P.25「利尻島における稲荷信仰」
利尻島の遊廓は、明治12年頃、鴛泊(おしどまり)に遊廓があり、明治32年に道庁告示により鬼脇村字ヤムナイ(清川)にも遊廓が設けられました。*1
利尻島郷土資料館の鬼脇市街略図*2 によると、橋を渡った先に遊廓がありましたが、ここからどのくらいの距離の場所にあったかは不明です。この道の先は行き止まりになっています。
清川の鬼脇中学校近く。ここから南側(この写真を撮った方向の逆方向)へ折れると鬼脇橋へ出ます。
鬼脇市街略図*2 に記載のあったヤムナイ橋「止内橋」へも行ってみました。
現在のヤムナイ橋は、鬼脇の市街から約1km離れた場所にあり、1枚目の写真の道の先に遊廓があったとは考えにくく、遊廓があった場所の詳細は不明です。
【参考文献】
*1 利尻富士町史編纂委員会:利尻富士町史(利尻富士町,1998)P.1358
【参考記事】
*2 風俗散歩(利尻):利尻島郷土資料館「明治末期 大正初期 鬼脇市街略図」
鬼脇は、利尻島のフェリーターミナルのある鴛泊(おしどまり)から、バスで約30分の場所にある町です。かつてはニシン漁で繁栄しました。
鬼脇の市街の中心部にある利尻島郷土資料館は、かつて鬼脇村役場だった歴史ある建物を利用した資料館です。
館内に地元の古老が記憶にもとづいて作成した「明治末期 大正初期 鬼脇市街略図」が展示されています。市街の中心部には、料亭が建ち並ぶ通りもあり、かつての繁栄が偲ばれます。
市街図によると、資料館(旧役場)の前の一つ南側の通りを西側へ進んで橋を渡った先に、遊廓があったようです。
遊廓手前の橋の下を流れる川を南へたどったところに、「ヤムナイ橋」の名が記されていますが、現在のヤムナイ橋は、ここから約1kmも離れた場所にある橋なので、この橋は鬼脇橋(鬼脇市街の東端に現存する橋)のことかもしれません。
今回は、利尻(北海道利尻郡)の町並みと風俗を散歩します。
利尻島へは、稚内からフェリーで110分です。
乗船してしばらくすると、前方に利尻岳の雄姿が望めます。
利尻岳の山肌が眼前に迫ってきます。
利尻島の玄関口「鴛泊(おしどまり)港」に到着。美しい「ペシ岬」が見えます。
現在の増毛港近くには、かつて入船町と呼ばわれた商船の貨物積込みの陸揚げ地点でした。
「入船町浜茶屋跡」の標柱が設置されています。
ここでは、船頭、船子を相手とした花街に類する営業が行われていました。
現在の益子港。
畠中町3~4丁目。かつての歓楽街に、スナックが散在しています。
ギャンブレル屋根のスナック。
スナックの看板を支える柱は木製です。
スナックもっちゃん。
遊廓があった畠中町4丁目。寿司屋の隣に、銭湯の増毛湯があります。
増毛湯は、昭和5年の市街図にも記載されています。
北海道らしい五角形のギャンブレル屋根の建物です。
現在は休業中のようです。
【参考文献】
*1 安田俊平:増毛市街案内図(北陽社,1930)