古い町並みが残る多度津の旧新地界隈。木製牛乳箱が2つ取り付けられているお宅があります。

ブロック塀に取り付けられている横木は3つ分の牛乳箱が取り付けられるサイズ。かつては3つの牛乳箱が横に連なっていたのだと思います。

飯山牛乳の牛乳箱は、右側半分が壊れて無くなっている状態。

別のお宅にあった飯山牛乳の牛乳箱。

古い町並みが残る多度津の旧新地界隈。木製牛乳箱が2つ取り付けられているお宅があります。

ブロック塀に取り付けられている横木は3つ分の牛乳箱が取り付けられるサイズ。かつては3つの牛乳箱が横に連なっていたのだと思います。

飯山牛乳の牛乳箱は、右側半分が壊れて無くなっている状態。

別のお宅にあった飯山牛乳の牛乳箱。

旧新地の町並み。

多数の窓を持つ理容室だったと思われる建物。

レトロな軒下の明かり。

古い理容室の看板。営業時間、定休日などが書かれています。

建物と建物の間の狭い路地の入口。

路地が奥まで続いています。

2階部分が総ガラス張りの建物。*1

重厚な格子の窓。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く2(自由国民社,2002)P.88-P.89
多度津市遊廓は、多度津新地にあって、貸座敷は19軒ありました。*1
明治37年の略図*2 によると海岸線沿いに「廓街」(当時の海岸線は、桃陵公園のある桃山の近く)があって、その北東側(えびす神社があるあたり)に「新地」の記載があります。

県道21号線から妙應寺へ向かいの通りの入口。料亭があります。

少し進むと当時の古い建物が残る一画に行きつきます。
天保9年に現在の多度津港の位置に港の中心が移り、それによって活気を呈した地域です。船宿、遊廓建築、町屋の建築が残っています。*3

曲がりくねった道が続きます。このあたりはかつての歓楽街でした。*4

【参考文献】
*1 南博:近代庶民生活誌(三一書房,1993)P.144 「全国遊廓案内」
*2 米田明三:多度津町文化財保護協会会報 第20号 P.7-P.12(1977) 「明治37年5月28日丸亀連隊の御用船へ乗船時の多度津港略図」
*3 新開国弘:多度津町文化財保護協会会報 第23号 P.17-P.21「多度津町町人地における町屋の特色」
*4 木村聡:赤線跡を歩く2(自由国民社,2002)P.88-P.89
今回は、多度津(香川県仲多度郡多度津町)の町並みと風俗を散歩します。

駅前の「多度津町観光マップ」の脇に白ポストが設置されています。

白ポストですが、色は白ではなく金属色です。

「寄贈伊原溶工所」と書かれています。金属加工を専門とする企業が寄付した白ポストです。

善通寺の門前。本郷通りの一つ南側の通り。

銭湯の「温泉湯」のネオン看板があります。

モダンなデザインの銭湯です。

現在は、休業中のようです。

善通寺町6丁目に、料亭街だった思われる一画があります。

総ガラス張りの建物。

路地が交差するあたり。

路地の奥に連なる塀。

善通寺町6丁目には、かつての善通寺門前の歓楽街であったと思われるスナック街や料亭街があります。倉庫のような建物ですが、スナックの屋号が書かれています。

入口付近の奇抜な装飾。

錆びたトタン板。

スナックの路地が続きます。

「全国遊廓案内」*1 によると、善通寺町遊廓は、善通寺町字砂古浦にあって、妓楼は、寿楼、花月楼、第二寿楼、房栄楼(ふさえいろう)、朝日楼、豊楼、陽貴楼、大正楼、吾妻楼、勇誠楼、いろは楼の11軒がありました。
大正11年の「最新善通寺市街図」*2 に遊廓の位置が記されています(現在の善通寺町西山のあたり)。
現在は住宅街となっていますが、道幅が広くなっている一画もあります。古い住宅地図*3 によると、この付近は「砂古裏」と呼ばれていたようです。

稲荷神社の鳥居。

「房栄屋旅館」があったあたり。*3
房栄楼から転業した旅館があったのかもしれません。

背後には、筆ノ山が望めます。

【参考文献】
*1 南博:近代庶民生活誌(三一書房,1993)P.144 「全国遊廓案内」
*2 最新善通寺市街図(1922)
*3 善隣出版社:善通寺市・琴平町・多度津町(善隣出版社,1971)P.27
今回は、善通寺(香川県善通寺市)の町並みと風俗を散歩します。善通寺の五重塔の前の通りに、「ゆ」の看板が見えます。

銭湯の「大正湯」

モダンなデザインの入口。

大正ロマンを感じさせる建築です。
