鳴門(大衆食堂)ボートレース鳴門近く。清酒「金陵」。

ボートレース鳴門(現在は施設改善のため休催)の近く。

ボートレース・競輪・競馬場にはつきものの大衆食堂があります。看板の清酒「金陵」は、琴平の地酒です。

店の入口近くには、「金陵」をはじめとする各種日本酒の一升瓶と、おでんの鍋が並べられています。

おでんと金陵(熱燗)を注文。

参考文献

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鳴門(南浜東浜の飲み屋街)骨組みだけが残されたゲート。

撫養町斉田の飲み屋街。入口には、骨組みだけが残されたゲートがあります。

居酒屋などの飲み屋が連なっています。

モダンな建物。

裏から見ると長屋の建物であることが解ります。

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鳴門(コンクリゴミ箱)飲み屋街

鳴門(養老湯跡)花街にある銭湯。古びた煙突。

花街にある銭湯の養老湯。*1

現在は、休業中です。

古びた煙突。

銭湯脇には路地。写真左側が銭湯の建物の側面です。

【参考文献】
*1 東京交通社:大日本職業別明細図(東京交通社,1937)第164号「兵庫県及び徳島県」

参考文献

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鳴門(花街跡)撫養町林崎の足立寺の西側。花街の面影を感じる一画。

鳴門市撫養町の花街は、撫養町林崎と撫養町岡崎にありました。撫養町林崎の足立寺の西側には、僅かに、花街の面影を感じる一画があります。

「淀川」という屋号の料亭。

古い母屋が残る通り。

この付近には、検番がありました。*1

【参考文献】
*1 東京交通社:大日本職業別明細図(東京交通社,1937)第164号「兵庫県及び徳島県」

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鳴門(林崎花街跡)撫養町

鳴門(白ポスト)「白ポスト」という表記がどこにも無い、白ポスト

今回は、鳴門(徳島県鳴門市)の町並みと風俗を散歩します。

JR鳴門駅前のトイレの入口脇に、白いポストが設置されています。

駅西側の大通りにも同じ型の白ポストが設置されています。

「白ポスト」という表記がどこにも無い、白ポストです。

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洲本(海岸通の繁華街)古い町並みが残る一画。

海岸通の北西側に、古い町並みが残る一画があります。1970年頃の住宅地図によると、「バー・ブイ」「文楽スタンド」「幾久恵旅館」「多津美スタンド」(写真左側)、「銀波旅館」「河上旅館」(写真右側)があって、この付近は飲み屋と旅館が建ち並ぶ繁華街だったようです。

河上旅館は、現在は民宿になっています。

民宿「市原」。

玄関前のタイルの装飾。

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洲本(洲本遊廓跡地)洲本港の入口の漁師町。現在の洲本市海岸通。

今回は、洲本(兵庫県洲本市)の町並みを風俗を散歩します。
明治12年に免許された洲本遊廓は、洲本港の入口の漁師町と呼ばれてた場所(現在の洲本市海岸通)にあって、終戦後まで同じ場所で営業されていました。*1*2

昭和4年発行の市街図*3 には、大谷ずし(現在の大谷食品店)の北側の一画(現在の淡路第二プリンスホテルや旅館小柳があるあたり)に「遊廓」の記載があります。

「小柳旅館」脇の通り。

アルサロ「ミススモト」があった通り。*4

【参考文献】
*1 新見貫次:写真集明治大正昭和洲本(国書刊行会,1979)P.111
*2 新見貫次:兵庫史学(1963.02,通号32)P.46-P.55 「州本遊廓」
*3 東京交通社:大日本職業別明細図(東京交通社,1937)第164号「兵庫県及び徳島県」
*4 関西図書出版社:洲本市(関西図書出版社,1970)P.10

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伊東(タワーホテル新松原)市街から遠望できる高層ホテル。

高台に建つ「タワーホテル新松原」。市街からも遠望できる高層ホテルです。

ホテルへの急坂を上っていくと鳥居が建っています。

思わず見上げてしまいます。

現在は休業しているようです。

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伊東(理容室)2階部分の窓は円型のデザイン。

伊東市渚町の商店街にレトロな美容院があります。

一階部分は、グレーのタイルで装飾されています。

2階部分の窓は、円型のデザイン。

玄関脇には、置物がディスプレイされています。

参考文献

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伊東(スナック街の路地)骨格部分だけのゲート。

猪戸1丁目のスナック街の路地。

路地の曲がり角の母屋の前にゲートの骨格部分だけが残されています。

ゲートの下部の取り付けられた電球。

路地はコの字型になっています。

参考文献

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