藤枝(旧新地の入口周辺)藤枝静雄の小説に登場するカフェ。

藤枝新地近くには、スナックが点在しています。

新地の南側の入口。

新地の北側の入口の通りには、カフェーが建ち並んでいました。*1

写真左側の空地には、銭湯の千歳湯、旅館ホワイト(旧保和糸料理店)がありました。*1*2
藤枝市出身の作家、藤枝静雄の小説*3に登場する遊廓の入口のカフェはこの付近であったと思われます。
カフェ・ホワイトは、洋酒とエプロン姿の女給といった新形式の社交場でした。藤枝で最初のカフェとして、昭和24年4月に遊廓の入口付近に開店しました。*4

【参考URL】
*1 有限会社 佐野石材:藤枝宿 歴史 「昭和10〜20年頃 藤枝・新地界隈覚え」藤枝文学舎を育てる会 作成
【参考文献】
*2 大畑宜吉:藤枝市明細図(東海地図出版社,1957)P.9
*3 藤枝静男:或る年の冬或る年の夏(講談社,1993)P.58,P.69
*4 八木洋行,野本寛一:写真集明治大正昭和藤枝(国書刊行会,1980)P.105

参考文献

参考記事

藤枝(藤枝新地遊廓跡地)上伝馬町の遊廓に代わって、新たに「新地遊廓」が公認。

明治37年1月の火事で全焼した上伝馬町の遊廓に代わって、新たに「新地遊廓」が公認されました。入口には、大門があって、清水屋、千葉屋などが有名でした。*1

1958年の住宅地図*2 の広告欄に記載の割烹旅館「山泉」に新地と書かれていることから、山泉旅館があった場所が新地だったようです。

山泉旅館があった敷地の裏側。

電柱の「新地」のプレート

【参考文献】
*1 静岡郷土出版社:目で見る志太100年史(静岡郷土出版社,1990)P.62
*2 大畑宜吉:藤枝市明細図(東海地図出版社,1957)P.9,P.36

参考文献

参考記事

藤枝(食売旅籠跡地)藤枝宿。現在の商店街の中心部。

藤枝宿の食売旅籠は、栗田屋、鈴木屋、山城屋、みそや、なべ屋、武蔵屋、まるや、油屋、江戸屋、鍋屋、笑子(えびす)屋、村田屋、山中屋、の13軒を超えていました。*1
写真は、武蔵屋、まるや、油屋があったあたり)*2

現在の商店街の中心部。みそや、なべ屋、がありました。*2

栗田屋、鈴木屋、山城屋、があったあたり。(写真左は、新明宮。)

東大サッカー部の記録*3 によると、昭和33年の第38回全日本選手権(天皇杯)が藤枝で開催され、そのときの東大サッカー部の宿泊所に、売春防止法で商売換えをしたばかりの十九万(トクマン)というお女郎屋さんが割り当てられました。
割烹・旅館「十九万」があったあたりは、現在はマンションに建て換わっています。*4

【参考文献】
*1 江戸町名俚俗研究会:地方図特集2 東海道藤枝宿町並明細図 東海道島田宿家並明細図 東海道袋井宿略図及青楼変遷図 ほか2編(江戸町名俚俗研究会,1966)P.6
*2 野本寛一,八木洋行:ふるさと百科藤枝事典(国書刊行会,1984)P.28
*3 東京大学運動会 ア式蹴球部:闘魂(東京大学運動会 ア式蹴球部,1988)P.59-P.61 小山富士夫「農学部の合宿所」
*4 大畑宜吉:藤枝市明細図(東海地図出版社,1957)P.9

参考文献

参考記事

藤枝(旧藤枝宿)大井川の川越で繁盛した旅籠屋。

今回は、藤枝(静岡県藤枝市)の町並みと風俗を散歩します。
江戸時代の藤枝宿は、大井川の川留めが解けると川越で繁盛した宿場町で、旅籠屋には当然飯盛女もいました。*1

現在の上伝場町付近が藤枝宿の中心でした。

問屋場跡。現在は藤枝交番になっています。

ふとん店の艶っぽい看板。

【参考文献】
*1 今井金吾:今昔東海道独案内(日本交通公社出版事業局,1994)P.131-P.132

参考文献

参考記事

竹鼻(木製消火器箱)ガラス張り。中身のホースの様子がよく見えます。

竹鼻町では、木製の消火器箱をあちこちで見かけます。

軒下に取り付けられた大型の木箱。

大型のホース収納庫。

竹鼻町東町のホース置き場。表面がガラス張りなので、中身のホースの様子がよく見えます。

参考文献

参考記事

竹鼻(ディープな看板)アダルト、トウハツ。竹鼻町の西岸寺近く。

竹鼻町の西岸寺近くの通り。

ローンの看板。アダルトという社名です。

男性用かつら「トウハツ」。

他にも、「白アリ」など、ディープな内容の看板ばかりです。

参考文献

参考記事

竹鼻(羽島市映画資料館)かつて、この地にあった竹鼻朝日館。

羽島市映画資料館は、めずらしい公立の映画資料館です。
この敷地には以前、竹鼻朝日館という映画館があり、昭和9年から昭和46年まで営業していました。*1

かつて、この地にあった映画館(竹鼻朝日館)の展示コーナー。

竹鼻朝日館の写真。全面のモダンなデザインは、現在の資料館の建物のデザインに継承されています。

映画ポスターの展示コーナー。

【参考文献】
*1 羽島市歴史民俗資料館・羽島市映画資料館 パンフレット

参考文献

参考記事

竹鼻(人力車)昭和初期の竹鼻には、芸者さんを呼べる料亭が散在。

綿の町、竹鼻に数軒あるふとん店のうちの一つ。

店の前に、人力車が展示してあります。椅子の幅が狭いことから、女性専用の人力車と思われます。

細かな細工が施されています。

地元の方の話によると、昭和初期の竹鼻には、芸者さんを呼べるような料亭が町中に散在していたとのことです。

参考文献

参考記事

竹鼻(三光稲荷)玉垣に料理屋の名。大正12年。

酒蔵の「千代菊」の工場を右に見ながら南下すると、十字路の角に三光稲荷があります。

鳥居には、大正12年と刻まれています。

昭和5年発行の市街図*1 に記載のある料理屋「福元(福本?)」「扇屋」の名前が確認できます。

同じく、料理屋の「久本」

【参考文献】
*1 東京交通社:大日本職業別明細図 第205号 岐阜県(東京交通社,1930)

参考文献

参考記事

竹鼻(新天地)歓楽街の名残とも思われる雰囲気。新天地。

竹鼻の中心街の北東の通り。

昭和5年発行の市街図*1 によるとこの付近には、食堂の「旭食堂」、料理屋の「一富士」「栄楽」「喜月」がありました。通りには、歓楽街の名残とも思われる雰囲気が残っています。

市街図*1 に記載のある「旭食堂」と思われる「喫茶・お食事 アサヒ」。

この界隈は「新天地」と呼ばれていたようです。

【参考文献】
*1 東京交通社:大日本職業別明細図 第205号 岐阜県(東京交通社,1930)

参考文献

参考記事