コモード56商店街に洲本の歴史を展示している資料館があります。

昭和の茶の間を再現と町並みの資料の展示されています。

弁天さん界隈の昭和の新旧の町並みが比較されています。

花魁道中が行われたこともあったようです。

コモード56商店街に洲本の歴史を展示している資料館があります。
昭和の茶の間を再現と町並みの資料の展示されています。
弁天さん界隈の昭和の新旧の町並みが比較されています。
花魁道中が行われたこともあったようです。
今回は洲本(兵庫県洲本市)の町並みを風俗を散歩します。
本町4丁目の厳島神社近くの弁天銀座は、洲本の中心街です。
弁天銀座から東側へ入った幅3メートルほどの小路は、新開地と呼ばれています。
スナック、寿司屋、料理屋、風俗店がひしめく夜の街です。
「カフエー」のプレート。
鷹匠町1丁目の歓楽街。「小唄横丁」と名付けられた小さな横丁があります。
1階に居酒屋が風俗店。2階は居住空間になっています。
裏口からも入店OK。
横丁の奥は、風俗紹介所の裏口につながっていて、そのまま向こう側へ通り抜けできます。
徳島県徳島市鷹匠町3丁目の交差点。ラブホテルへの入口を示す看板があります。
通りを進むと住宅街に混じってラブホテルの建物があります。
隣の民家の塀にあった「18歳未満の者の出入を固く禁じます」と書かれた看板。何かの店舗なのでしょうか。
ホテルの前は公園です。
徳島市栄町5~6丁目は、かつて旅館が散在していたエリアです。
栄町6丁目(5丁目の南側)にも、旅館風の建物があります。
交差点に近いあたり。
栄町5丁目北側の民家。
今回は、徳島(徳島県徳島市)の町並みと風俗を散歩します。
徳島市の二軒屋町駅近くには秋田町遊廓がありました。昭和11年発行の市街図には、現在の秋田町6丁目付近に「遊廓」の文字が記されています。*1
秋田町遊廓は戦後は赤線に移行して、「南新地」と呼ばれるようになりました。*2
1953年の住宅地図*3 には、この付近に「南新地」の記述があります。
バス停近くにある飲み屋(スタンド初菊)跡*3。
タイルで装飾された旅館の建物。
古い住宅地図*3*4 には「さがのや旅館」と記載されています。
【参考文献】
*1 日下伊兵衛:徳島市街全圖(日下伊兵衛,1936)
*2 木村聡:消えた赤線放浪記(ミリオン出版,2005)
*3 善隣出版社:ゼンリンの住宅地図 徳島市・鳴門市(日本住宅地図出版株式会社, 1960)
*4 日本精密地図出版社:徳島精密市街地図(日本精密地図出版社,1953)
高松市城東町の吉野湯。
歩道にせり出した吉野湯の看板がいい雰囲気です。
大きめでカラフルな暖簾。「男」「女」と大きく書かれています。
コインランドリーが併設されています。
瓦町駅近くのフェリー通りから、西へ入ったところに、昔ながらの旅館「おしどり」があります。
1階の左右に出入口があります。
西側から。
夜の様子。
丸亀の現在の歓楽街は、遊廓があった港寄り(駅の北側)とは逆の駅の南側にあります。
富屋町(とみやまち)の商店街を抜け、京極通りを超えた大手町3丁目の北側に、バーなどが入居する商業ビルが建ち並ぶ一画があります。
交差点の商業ビル。
バー、マッサージ店の看板が乱立します。
2階への階段。
新堀遊廓跡*1 は、現在は旅館などが建ち並ぶ通りとなっています。
旧遊廓の西端にある三吉旅館。
港に通じる路地の左右に木造の建物が対峙しています。*1
「赤線跡を歩く」*1 に掲載されているなまこ壁のある氷屋さんの建物は無くなって、駐車場になっていました。
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く2(自由国民社,2002)P.87