八戸(たぬき小路)吉永小百合さんのCM。

鷹匠小路を進むと、昭和の雰囲気が残る「たぬき小路」の入口があります。

提灯が連なります。

JR東日本のポスターに出演を続ける吉永小百合さんの「八戸の横丁編」は、「たぬき小路」で撮影されました。*1

小路を奥へ進むと鍵型に横丁が曲がって、奥の「五番街」へ続いています。

【参考文献】
*1 東日本旅客鉄道株式会社:トランヴェール(2013.8)P.38-P.39

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八戸(夜の「れんさ街」)昭和の雰囲気を感じる横丁。

夜の「れんさ街」。

昭和の雰囲気を感じる横丁です。

横丁がTの字になっている場所。中華料理屋のネオンが怪しい雰囲気に感じます。

裏通りにある「洋酒喫茶プリンス」。

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八戸(れんさ街)昭和30年に出来た牢丁連鎖街。

今回は、八戸(青森県八戸市)の町並みと風俗を散歩します。
八戸には、その名にふさわしく八つの横丁があります。古い順に、たぬき小路、長横町れんさ街、ハーモニカ横丁、ロー丁れんさ街、五番街、花小路、みろく横丁、八戸昭和通り。

長横町れんさ街の入口。案内板に、れんさ街の歴史が説明されています。
れんさ街は、昭和30年、商店が軒を連ねる横丁として、産声をあげました。かつては周囲に映画館も集中していました。やがて飲食店が集まり出し、現在のような町並みが出来上がりました。(案内板より)

「れんさ名店街」という呼び方もあるようです。

「ロー丁れんさ街」は、漢字では「牢丁連鎖街」。藩政時代の牢屋の場所に、戦後、鎖のように飲食店が連なりました。*1
。現在は、商店が少なくなり、駐車場になっています。

【参考文献】
*1 東日本旅客鉄道株式会社:トランヴェール(2013.8)P.38-P.39

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五戸(小岩井牛乳の牛乳箱)五戸川の近くの住宅街。まきば。

五戸川の近くの住宅街。

「まきば」と書かれた牛乳箱があります。

小岩井牛乳の牛乳箱。

側面には、小岩井ヨーグルトと書かれています。

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五戸(五戸遊廓跡地)新丁の遊廓。遊廓の入口にアカメ橋。

大正時代の五戸町は、この地方の商業町として毎日のように人手がありました。特に、十七、二十七の市日には、大混雑の繁昌振りで、大道商人もたくさん出ました。五戸町新丁にいつ遊廓ができたのか詳細は不明ですが、明治末期には12軒が店開きしていて、約50年続いて戦後の売春防止法が施行されて、廃業しました。遊廓の入口には、アカメ橋がありました。遊廓の女達は、そこまで朝帰りの客を送り、後でその客にアカメと指で目を大きく開いて、客人をけいべつすることから、アカメ橋の名がつきました。*1

この場所だけ道路幅が特別広い理由は、明治40年3月12日の新丁大火の後、各家庭が道路前の土地を2メートルずつ寄付して大幅な道路になりました。*2

南側からみた新丁。

新丁の南側にある新明宮。
遊廓の女性達は、家掃除や雑巾がけを済ませ、玄関を必ず水洗いをし、その後、新明宮やこうへん様(当時あったお堂)を拝みに行きました。*2

【参考文献】
*1 三浦榮一:流れる五戸川 続8 (三浦榮一,1997)P.58-P.60 「新丁の遊郭はいつごろ出来たか」
*2 三浦榮一:流れる五戸川 続13(三浦榮一,2002)P.383-P.385 「新丁の思い出(続)」

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五戸(延命寺の男根)境内の一角に公先堂。石製・木製。

五戸町小堂にある延命寺。

境内の一角に「公先堂(コーセン堂)」があり、ここに、石製・木製の男根が奉納されています。

縄文時代の石棒と思われる長さ1m弱の石製男根。

こちらには、複数の男根が奉納されています。

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五戸(鶴の湯跡)地酒「菊駒」の大看板の近く。

今回は、五戸(青森県三戸郡五戸町)の町並みと風俗を散歩します。
五戸町の中心部。地酒の「菊駒」の大看板が目を引きます。その後方に銭湯の煙突が見えます。

銭湯の「鶴の湯」。

現在は、休業中のようです。

建物の後ろ側。

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二戸(藤の湯)水晶橋跡近くの銭湯。油田型の煙突。

かつて水晶橋があったと思われる場所に、銭湯の「藤の湯」があります。

営業時間は、午後3時から8時半までです。

油田型の煙突。

銭湯の左側は、材木置き場になっています。

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二戸(スナック店)夜の観光。クラブエレクトーン。

二戸には、小規模ながら歓楽街もあります。

趣のあるスナックの建物。「クラブエレクトーン」という店名です。エレクトーンの演奏を楽しめる店でしょうか。この一画には、複数の店舗が軒を連ねています。

スナック店の看板。

夜の観光。

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二戸(福岡町遊廓跡地)水晶川付近。現在は暗渠になっています。

今回は、二戸(岩手県二戸市)の町並みと風俗を散歩します。
現在の二戸市街は、1972年、福岡町が二戸市に合併される以前は、「福岡町」と呼ばれていました。大正9年の「福岡町案内俯瞰図」*1 によると、福岡町遊廓は、水晶川の北側の現在の長嶺にありました。大正14年の市街図*2 には、水晶川の北側に、福田楼、第一よか楼、第二よか楼の3軒の妓楼が記されています。

水晶川があった場所は、現在は暗渠になっています。

5年後の昭和5年の市街図*3 には、金盛楼、よか楼の2軒の妓楼名が水晶川の南側に記されています。

金盛楼があったと思われるあたり。

【参考文献】
*1 二戸市史編さん委員会:二戸市史(二戸市,2001)P.248-P.249,P.628
*2 木谷賀:大日本職業別明細図(東京交通社,1926)「福岡町」
*3 大日本職業別明細図 第204号 岩手県(東京交通社,1930)「福岡町」

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