玉水新地跡。

用水路の北側には、当時の面影を残す旅館の建物が、今も健在です。

鮮やかな緑色のタイル。

奥行のある大きな建物です。

玉水新地跡。
用水路の北側には、当時の面影を残す旅館の建物が、今も健在です。
鮮やかな緑色のタイル。
奥行のある大きな建物です。
玉水新地は、明治から戦後にかけて高知市街の西のはずれにあった遊廓です。
用水路のを挟んだ南北の両側に妓楼が建ち並んでいました。
用水路には小さな橋がいくつもかかっています。
橋は、ひとつひとつが異なる形をしています。
橋の上からの眺め。
帯屋町の商店街。
制服専門店があります。
店先には、たくさんの種類の制服が陳列されています。
水色の襟の制服。最前列に陳列されています。
路面電車の大橋通り駅の近く(「ラヴィータ」の東隣り)に、短い小路があります。
居酒屋が建ち並びます。
連日、繁盛しています。
一直線に伸びる側溝。
今回は、高知(高知県高知市)の町並みと風俗を散歩します。
高知市街中心部のはりまや橋公園に「南国土佐を後にして」の歌碑が設置されています。
原詩・原曲は、第二次世界大戦中、中国に派兵された土佐出身の兵士が故郷を懐かしんで作ったものです。(案内板より)
歌詞には、よさこい節の1節「土佐の高知のはりまや橋で坊さんかんざし買うを見た」が取り込まれています。
「南国土佐を後にして」は、昭和34年、歌手のペギー葉山さんが歌って大ヒットしました。当時の日本は、集団就職で多くの少年少女が都会に流入した時代で、高知県民はもとより、多くの人たちがこの歌に故郷を偲びました。(案内板より)
交差点にある赤い色のはりまや橋は観光用のもので、本当のはりまや橋は、こちらの鉄骨でできた橋です。
東急東横線の綱島駅と大倉山駅の中間あたり。大曽根商店街沿いに銭湯の大平館があります。
一見、普通の商業ビルですが、路地の奥に銭湯の入口があります。
風情のある玄関付近。
煙突には、「ラジウム温泉」と書かれています。
綱島駅の南側。大網橋を渡って300mほどのところに、東急線のガードがあります。
人がようやく通ることができるほどの高さのガードです。線路の枕木が目の高さぐらいの位置にあります。いつかどかで見たような懐かしい風景です。
自転車に乗った通行者が通り過ぎていきます。
轟音をたてて、頭上を電車が通り過ぎます。
綱島駅に隣接して「綱島駅ビル商店街」があります。1Fは東急ストアをなどの食料品街で、改札口とつながっています。
2Fの飲食店街は、昭和レトロな雰囲気が残っています。
ビルの老朽化が進んでいるようで、トイレは利用できない状態です。
3階より上は、立ち入り禁止です。
大綱橋北詰を西に入ったところに、ラブホテルが数軒建ち並ぶ一画があります。
綱島有料駐車場(写真左側)が隣接しています。
ホテルをご利用のお客様は無料です。
待合所まであって、至れり尽くせりです。
綱島駅の西側は、割烹旅館や温泉施設が密集するエリアでした。工事中のマンションのフェンスに、綱島の由来の説明書きがあります。大正15年に東急東横線の綱島駅が開業し、駅前にラジウム温泉浴場ができたことが書かれています。
現在のニックハイム第一(写真左側の工事中の建物)付近には、温泉施設の「行楽園」がありました。「行楽園」は、旅館の梅島、水明、甲子園、ひさごの4館の共同出資で、ラジオで「百円天国」と宣伝し、大繁盛しました。大浴場、大食堂、屋上の子供天国、ビヤホールを備え、お客は、芸能人の音楽や園芸を楽しめて1日大人100円。今日のヘルスセンターのはしりとなりました。*1
旅館の相川屋本館、梅島館、水明があったあたりは、現在は高層マンションとイトーヨーカ堂を中心としたショッピングロードに変わり、当時の面影はありません。*1
現在のパデュ通りを北側に入ったあたり(写真右側)に、検番がありました。*1
綱島温泉の中で最後まで残った旅館の「浜京」が地図に載っています。
【参考文献】
*1 「とうよこ沿線」編集室:わが町の昔と今1(「とうよこ沿線」編集室,2000)P.36,P.42-P.45