土浦(小便小僧)桜町3丁目の医院。駐車場の敷地の小さな池。

桜町3丁目の医院。交差点に面したところにあります。

駐車場の敷地の小さな池があって、そこに、小便小僧が立ってます。

この日は、水は出ていませんでした。

気持ちよさそうです。

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土浦(田町)かつての盛り場。船頭達を客とする料亭や旅籠屋が発達。

明治42年発行の「土浦名勝案内」によると、「田町は粋人町として明治20年頃は花に酔い、柳に戯れる人の出入多かりし」あって、賑わいが続いていました。

阿弥陀堂周辺は、かつての盛り場でした。(町名由来柱の説明より)

田町は、水戸街道に沿い、南は堀を隔てて武家町である築地に接していて、田町川(築地川)及び北門に通じる水路があるので船頭達を客とする料亭や旅籠屋が発達しました。(町名由来柱の説明より)

阿弥陀堂の隣の古い飲食店の建物。かつての盛り場の名残かもしれません。

【参考文献】
*1 永山正,土浦市企画部広報課:土浦町内誌(土浦市教育委員会,1989)p.32-P.34

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土浦(天満宮)中城町。食傷新道という花柳街。

中城町は、土浦の代表的な町人町です。

中城町で一番古い伝説を持っているのは、天満宮です。

史料によると、天満宮では毎年3月11日から5日間、馬市(駒市)が開かれていました。駒市で金をつかんだ早速散在したとみえて、俗に食傷新道という花柳街が生まれて、明治の末に日進楼、霞月楼などが設けられる環境がつくられていました。*1

日進楼、霞月楼の名が刻まれた玉垣。

【参考文献】
*1 永山正,土浦市企画部広報課:土浦町内誌(土浦市教育委員会,1989)p.12-P.14

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土浦(桜町の風俗街)古い市街図。スナックなどの飲食店が混在。

桜町の風俗街には、スナックなどの飲食店が混在しています。

大通りに面したスナック店。

ヘルス店隣の飲食店だったと思われる建物。

古い市街図が残っています。現在は無くなっている風俗店の店名が数多く確認できます。

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土浦(白ポスト)土浦駅東口階段下。伸びよう伸ばそう青少年。

今回は、土浦(茨城県土浦市)の町並みと風俗を散歩します。

JR土浦駅東口の階段下に白ポスト。箱の側面には、「伸びよう伸ばそう青少年」の標語。

白ポストは西口にはなく、東口だけにあります。

右側の箱の側面。

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石岡(募集看板)コンパニオン、仲居さん。石岡駅前。

石岡駅前のカラオケスナックなどが入るビル。

「コンパニオン」、「仲居さん」と書かれた看板。

反対側の通路から見たところ。

よくみると、下に「募集」の文字。コンパニオン、仲居さんの募集看板でした。

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石岡(石岡遊廓跡地)新地八軒。鈴の宮稲荷神社の隣。

石岡市国府2丁目の通り。

鈴の宮稲荷神社。

石岡民俗博物館の展示資料によると、石岡の遊廓「新地八軒」は鈴の宮稲荷神社の隣にありました。

金丸通り商店街。

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石岡(紀州屋いくの墓)本浄寺。天狗党幹部が「おふくろ」と慕った女将。

石岡市街にある本浄寺。

ここに、天狗党幹部の小四朗が「おふくろ」と慕った女将のいくの墓があります。*1

紀州屋いくの墓。*1

墓石の風化が激しく、解読できません。

【参考文献】
*1 石岡市史編纂委員会:石岡の歴史 市制三十周年記念 (石岡市,1984)P.169-P.172

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石岡(ふるさと歴史館)妓楼紀州屋の女将いく。新地八軒。

今回は、石岡(茨城県石岡市)の町並みと風俗を散歩します。
市街の西のはずれにある石岡市立民俗資料館。

元治元年(1860年)、水戸藩内抗争から発展した天狗党は、筑波山に挙兵しますが、それより以前、石岡の遊廓「新地八軒」は、天狗党幹部の藤田小四朗や竹内百太郎の同志糾合のための足場となっていました。

新地八軒の見取り図。

とくに、妓楼紀州屋の女将いくは、小四朗から「おふくろ」と呼ばれ慕われていました。

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北見(美好湯)サウナの看板。北国らしいビル銭湯。

北海道北見市美芳町7丁目にある銭湯の美好湯。サウナの看板が印象的です。

北国らしいビル銭湯です。

入口には、牛乳石鹸の暖簾。

銭湯の煙突。

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