心斎橋(トルコ風呂跡)ビルの屋上に残る看板。トルコ孔雀。

道頓堀川の大黒橋近く。屋上にトルコ風呂の看板が残るビルがあります。

「トルコ孔雀」と書かれています。
1981年の資料*1 によると、ミナミ(難波駅周辺)には、約30軒のトルコ風呂が営業しており、この写真の付近には、「孔雀」、「六本木」、「男爵」の3軒の店が建ち並んでいました。

ビルの背面(道頓堀川側)。

”和風”トルコだったようです。

大坂のトルコ風呂は、条例によって、個室の天井に近い壁に20~30センチの空間(隣の部屋とのスキ間)を作るよう定められていたのが特色でした。これにより、隣の部屋の話声、シャワーの音などがソックリ聞こえるので、少々プレイのさまたげになったのですが、店側が一部屋ずつ置いて客を入れることで解決しました。*1
【参考文献】
*1 大洋図書:ミリオンMOOK全国高級トルコ・ガイド(大洋図書,1981)P.106-P.110

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飛田(日之出温泉)朝6時から営業。大きな煙突。

飛田新地の北側は、風情のある住宅地です。

住宅街の狭い路地に、銭湯の日ノ出温泉があります。

大きな煙突。

「日之出温泉」の名前の通り、朝6時から営業です。

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飛田(アパートの建物)飛田本通商店街近く。タイルで装飾。

飛田本通商店街から路地を入ったところに、アパートが連なる一画があります。

玄関付近。タイルの装飾が見事です。

玄関脇のタイル。

タイルで装飾された窓。

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飛田(レトロな建物)全面がタイルで装飾。飛田新地近く。

飛田新地の西側。高速道路の高架下に、古いアパートの建物があります。

2階建てのレトロな建物です。

全面がタイルで装飾されています。円柱のデザインも見事です。

玄関付近。

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飛田(飛田新地内公衆トイレ)「かわや」と書かれた看板。飛田新地料理組合。

飛田新地の南端。

「かわや」と書かれた看板。飛田新地内にある公衆トイレです。

トイレの入口には、「飛田新地料理組合」と書かれた石柱が置かれています。

トイレの周辺には、ベンチや自販機があって、ちょっとした休憩所になっています。利用者は男性ばかりです。

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飛田(慰霊碑 と 慈母観音 )飛田遊廓発祥の地。慈悲共生。

「鯛よし百番」の斜向かいに、「慰霊碑」 と 「慈母観音 (無縁仏)」があります。碑には、「慈悲共生」と刻まれています。

慰霊碑・慈母観音は、いろいろな事情により飛田遊廓で働き、居住をしていた多くの男女 (遊女) の方々が様々な事情や世間の風評で、遊郭外に移住することもままならず亡くなられた霊が安らかなれと願い建てられたものです。(案内板より)

案内板には、「飛田(遊廓)新地料理組合の歴史」が書かれています。
明治45年の「南の大火」によって、難波新地が消失し、その後、原っぱ同然だった天王寺東松田西松田の一部に通称「飛田遊廓」が指定されました。戦中は大きな被害を受けましたが、戦後は赤線として復興しました。昭和33年「売春防止法」後は、料理組合として誕生しました。

「慰霊碑」の裏側は、飛田遊廓発祥の地の碑になっています。

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飛田(料亭「百番」)登録有形文化財。木造2階建、入母屋造、桟瓦葺の建物。

今回は、飛田(大阪府大阪市西成区)の町並みと風俗を散歩します。
飛田新地の南東の角地に料亭「百番」があります。木造2階建、入母屋造、桟瓦葺の建物は、登録有形文化財に指定されています。

玄関部分付けられた唐破風。

2階には、擬宝珠高欄が巡らされています。

飛田の歓楽街の殷賑を色濃く今に伝える貴重な建物です。

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五条(旅館の建物)奇抜な洋風のデザインの三階建て。

旧五条楽園にある古い旅館。三階建ての建物です。

「旅館」と書かれた看板のある入口。

奇抜な洋風のデザインです。

睨みをきかしている鐘馗さん(3階部分)。

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五条(五條楽園)遊廓を思わせる重厚な木造建築。

五條楽園の中心部の路地。

遊廓を思わせる木造の建物が残されています。

重厚な木造建築は歴史を感じさせます。

軒下の燈。

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五条(第二西菊)石材が配置されたデザイン。モルタルの建物。

洋館の建物の隣に、モルタルの建物があります。

壁面下部に石材が配置されたデザイン。

屋号が書かれた看板。

西側の隣の建物はタイルで装飾されています。

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