北海道北見市北7条西4丁目の交差点。

カラオケスナックが入るプレハブ風の建物。

テレクラの看板。現在は休業中のようですが、看板だけが残っています。

別のカラオケスナック店の「グレース」の看板。

北海道北見市北7条西4丁目の交差点。

カラオケスナックが入るプレハブ風の建物。

テレクラの看板。現在は休業中のようですが、看板だけが残っています。

別のカラオケスナック店の「グレース」の看板。

1969年に出来た飲食専用の「スカイビル」。

ビルの上部には、「B1キャバレー」の大看板。

現在、地下1階にキャバレーはありません。

看板だけが取り残されているようです。

1965年(昭和40年)に本格的に始まる北見市の中部地区土地区画整理事業の関係で、1966年(昭和41年)、稲荷神社付近の料理店が、同区画整理のため取り壊され、稲荷神社は5条から幸町に移転。稲荷神社跡は、現在のロータリーに姿を変えました。*1

1968年(昭和43年)、映画、ボウリング、料飲店街が入った娯楽センター「東宝ビル(4階建て)」が5条西2に完成しました。*1

翌1969(昭和44年 )、木造平屋建ての「稲荷小路」が料飲店ビルに集約(稲荷小路都市改造)、札幌以北では初という料飲店だけが入った「スカイビル」が5条西3にお目見えしました。*1

スカイビルに次いで、エイトビル、ユニオンビル、プラザジョイフルビルなど次々と料飲店テナントビルが誕生しました。*1
写真はエイトビル。

【参考文献】
*1 北海道社交飲食環境衛生同業組合:北海道社交飲食環境衛生同業組合北見大会記念誌(北海道社交飲食環境衛生同業組合,1996)P.83
戦後、市内の飲食店街は、市勢の発展とともに盛り返し、稲荷小路、銀座街、狸小路、稲荷仲店、千歳小路など、飲み屋小路(横丁)が誕生しました。

狸小路は、昭和29年、あけぼのマーケット跡にできた「狸小路」は、現在は「狸小路名店街」となっています。

横丁は、トンネル路地になって続いています。

反対側の入口。

【参考文献】
*1 北海道社交飲食環境衛生同業組合:北海道社交飲食環境衛生同業組合北見大会記念誌(北海道社交飲食環境衛生同業組合,1996)P.77-P.78
大正十年、野付牛(北見)の町は、ハッカと木材景気で沸き立ち、歓楽街も大へんにぎわっていました。そんななかで、明治42年創業の割烹「梅乃家」が十万円を投じて六百坪の大建築を落成しました。大正14年発行の「北海道及花街」によると、梅乃家は単に一流であるばかりでなく、「全道地名料理店番付」の小結の地位を占めていました。*1

梅乃家のゆかりの品として、幸町の稲荷神社拝殿前の灯籠があります。

その裏にこの灯籠を寄進した梅谷豊三郎と芸妓の桃太郎、萩子、千代香、小萩、茶目、富士丸などの名が辛うじて判読できます。

もう一つの灯籠。花月亭、大正亭などの名が判読できます。ピアソン記念館に展示されていた「野付牛明細圖(昭和4年発行)」*2 に記載されている料亭かもしれません。

【参考文献】
*1 清水昭典:ふるさとの歴史を訪ねて(北見市,1996)P.264-P.266
【参考記事】
*2 風俗散歩(北見):ピアソン記念館
今回は、北見(北海道北見市)の町並みと風俗を散歩します。
北見の歓楽街の北側(幸町7丁目)にあるピアソン記念館。

ピアソン宣教師夫妻は、1888年(明治21年)に来日、伝道をつづけました。北見では、略註付旧・新約聖書出版の偉業を成し遂げ、遊廓設置阻止に成功し、多くの婦女子を救いました。

婦人穚凡会記録には、遊廓設置に反対した記録が残されています。道内において開拓地遊廓が設置されたなかったのは、野付牛(北見)だけであり、これは北見市の誇りです。

ピアソン記念館内に展示されていた北見市街図。割烹「梅の家」があったこの一画は、北見の花街の中心でした。

江別市の歓楽街(5条5・6丁目)のはまなす温泉。

現在は、休業中のようです。

サウナ&ラドン。効能が多い温泉です。

油田型の煙突。

江別市の歓楽街は、5条5・6丁目にあります。

5条会館。

水色のタイルで装飾された雑居ビル。

スナック・パブ専用です。

江別市街の五条一丁目通り。写真の左奥に見える森は、王子製紙江別工場の敷地です。

昭和レトロな飲食街ビル。

昔ながらの横丁の雰囲気です。

密集する飲み屋の看板。

かつて遊廓があった六軒町にある理容室。

正面から見ると右側と左側に色分けされているように見えます。

上の写真の拡大写真。正面に屋号か記されて、右側半分が「理容院」。左側半分が「美容院」となっています。

左側の美容室部分の窓。タイルで装飾されています。
