元町の竹瓦温泉近くの風俗街。

風俗無料案内所があちこちにあります。

ソープ・ヘルス専門の案内所。

夜の案内所。

元町の竹瓦温泉近くの風俗街。
風俗無料案内所があちこちにあります。
ソープ・ヘルス専門の案内所。
夜の案内所。
別府の栄町の銀座裏通り。緩やかなカーブを描いて幅の狭い路地が続きます。
昭和30年代、別府温泉には、7,000人のホステスがいて、情こまやかな接客ぶりは評判でした。中でも意にかなったホステスを自由に選択できる「セレクト喫茶」なるバーが人気で、銀座裏通りや柳町のバー街にありました。*1
現在は、居酒屋やスナックとファッションヘルスなどの風俗店が混在する通りになっています。
新宮通りに近いあたり。
【参考文献】
*1 J.F.モンゴメリ:夜のニッポン探検(東都書房,1967)P.108-P.119
今回は、別府(大分県別府市)の町並みと風俗を散歩します。別府駅の北東側に位置する北部旅館街(仲間通り)は古くからの旅館が現在も営業中です。
そのうちの1軒、すずめ旅館は、宿泊(素泊まり)2500円です。看板には、「御泊り」の他に「御休憩」もあります。昔は、休憩のみの利用もできたのだと思います。
豪華なソファーと大きなダブルベッド。艶っぽい雰囲気の調度品など歴史を感じさせる旅館です。
夜になると、別府タワーのネオンが望めます。
田の浦は、江戸時代、風待ちの港として栄え、色街があり、付近に遊女の墓がありました。案内板に記載されている遊女の墓は、おそらく、現在は地蔵寺に移転されたものと思われます。
天神社大明神は、菅原道真が九州で初めて上陸した所に、鳥居が建てられたと伝えられるものです。
鳥居には、「文政5年(1822年)正月吉日と彫られ、永文字屋内真砂が寄進したと残されています。
永文字屋は当時の遊女屋の屋号と思われますが、鳥居の文字は判読困難なほど風化していて、かすかに、”真砂”の文字だけが読み取れます。
門司市街は、格子状に整然と区画されているのが特徴ですが、例外的に昔のままの小路が残っている場所があります。栄小路はその一つで、小路への入口はY字路のようになっています。
栄小路は、中央部分で大きくカーブしています。
バー、居酒屋などのが建ち並んでいます。
栄小路がカーブしているところにあるスタンドバー「直湖」。
現在、地蔵寺にある遊女の墓は、バー「直湖」の女性経営者が、田の浦にあった遊女の墓の見捨てられたような状態を悲しみ、地蔵寺の住職に頼んで墓を移設してもらったものです。*1
【参考文献】
*1 羽原清雅:「門司港」発展と栄光の軌跡(書肆侃侃房,2011)P.352
門司市街庄司町の高台にある地蔵寺。
江戸時代、門司の風待ちの港として繁栄した田の浦には、色街がありました。田の浦の真楽寺と聖山に遊女たちの墓がありましたが、現在は地蔵寺に移されています。*1
1753年から1839年までの5基の墓があります。*1
地蔵寺からは、門司市街が見渡せます。江戸時代に遊里があった田の浦は、関門橋(写真右奥)の向こう側です。
【参考文献】
*1 羽原清雅:「門司港」発展と栄光の軌跡(書肆侃侃房,2011)P.352
門司区栄町にある大衆中華料理店「朋友」の建物。
郷愁を感じさせる1階部分の看板。
1つの木造母屋に複数の店舗が入居していたようです。
いろいろな看板が取り付けれられていて、当時の賑やかさが伝わってくるようです。
住宅街の中にスナック、銭湯などが点在する旧カフェー街。
理容室「良美軒」の建物。
玄関部分は緑色のタイルで装飾されています。
木製の窓枠がいい感じです。
あずま通りの中ほどに、銭湯の日の出浴場があります。
こじんまりとした暖簾が郷愁を誘います。
玄関部分には、宝船のタイル絵があります。
裏側から見た銭湯の建物の全景。