法善寺といえば、どこに寺があるのか解りずらいのですが、昔からの料亭街がはみ出してきて寺の存在は、薄くなっていますが、昼夜を問わず立ち込める線香の煙は存在感を主張しています。

この付近は、大坂五花街の一つ「南地」があった場所に含まれます。
玉垣には、「南地壽会芸妓紹介所」、「はじめの会芸妓紹介所」と刻まれいます。

「飛田大安」と刻まれた玉垣。

法善寺境内にある「夫婦善哉」。

法善寺といえば、どこに寺があるのか解りずらいのですが、昔からの料亭街がはみ出してきて寺の存在は、薄くなっていますが、昼夜を問わず立ち込める線香の煙は存在感を主張しています。

この付近は、大坂五花街の一つ「南地」があった場所に含まれます。
玉垣には、「南地壽会芸妓紹介所」、「はじめの会芸妓紹介所」と刻まれいます。

「飛田大安」と刻まれた玉垣。

法善寺境内にある「夫婦善哉」。

千日前が庶民派グルメの殿堂であるのに対し、法善寺横丁は、大阪の応接間のような存在です。*1

東西両端に「法善寺横丁」の文字が書かれた門があって、静かななにわ情緒を漂わせています。

歌謡曲「月の法善寺横丁」にも歌われました。

路地裏の飲み屋。この先に法善寺があります。

【参考文献】
*1 大坂人(2009.11.1)P.5
今回は、千日前(大阪市中央区)の町並みと風俗を散歩します。

戎橋は、道頓堀の繁華街の中心部に位置します。

周辺には、グリコのネオン看板など、道頓堀の名物がたくさんあります。

東側には、ドンキホーテの巨大観覧車が見えます。

道頓堀川の大黒橋近く。屋上にトルコ風呂の看板が残るビルがあります。

「トルコ孔雀」と書かれています。
1981年の資料*1 によると、ミナミ(難波駅周辺)には、約30軒のトルコ風呂が営業しており、この写真の付近には、「孔雀」、「六本木」、「男爵」の3軒の店が建ち並んでいました。

ビルの背面(道頓堀川側)。

”和風”トルコだったようです。

大坂のトルコ風呂は、条例によって、個室の天井に近い壁に20~30センチの空間(隣の部屋とのスキ間)を作るよう定められていたのが特色でした。これにより、隣の部屋の話声、シャワーの音などがソックリ聞こえるので、少々プレイのさまたげになったのですが、店側が一部屋ずつ置いて客を入れることで解決しました。*1
【参考文献】
*1 大洋図書:ミリオンMOOK全国高級トルコ・ガイド(大洋図書,1981)P.106-P.110
飛田新地の北側は、風情のある住宅地です。

住宅街の狭い路地に、銭湯の日ノ出温泉があります。

大きな煙突。

「日之出温泉」の名前の通り、朝6時から営業です。

飛田本通商店街から路地を入ったところに、アパートが連なる一画があります。

玄関付近。タイルの装飾が見事です。

玄関脇のタイル。

タイルで装飾された窓。

飛田新地の西側。高速道路の高架下に、古いアパートの建物があります。

2階建てのレトロな建物です。

全面がタイルで装飾されています。円柱のデザインも見事です。

玄関付近。

飛田新地の南端。

「かわや」と書かれた看板。飛田新地内にある公衆トイレです。

トイレの入口には、「飛田新地料理組合」と書かれた石柱が置かれています。

トイレの周辺には、ベンチや自販機があって、ちょっとした休憩所になっています。利用者は男性ばかりです。

「鯛よし百番」の斜向かいに、「慰霊碑」 と 「慈母観音 (無縁仏)」があります。碑には、「慈悲共生」と刻まれています。

慰霊碑・慈母観音は、いろいろな事情により飛田遊廓で働き、居住をしていた多くの男女 (遊女) の方々が様々な事情や世間の風評で、遊郭外に移住することもままならず亡くなられた霊が安らかなれと願い建てられたものです。(案内板より)

案内板には、「飛田(遊廓)新地料理組合の歴史」が書かれています。
明治45年の「南の大火」によって、難波新地が消失し、その後、原っぱ同然だった天王寺東松田西松田の一部に通称「飛田遊廓」が指定されました。戦中は大きな被害を受けましたが、戦後は赤線として復興しました。昭和33年「売春防止法」後は、料理組合として誕生しました。

「慰霊碑」の裏側は、飛田遊廓発祥の地の碑になっています。

今回は、飛田(大阪府大阪市西成区)の町並みと風俗を散歩します。
飛田新地の南東の角地に料亭「百番」があります。木造2階建、入母屋造、桟瓦葺の建物は、登録有形文化財に指定されています。

玄関部分付けられた唐破風。

2階には、擬宝珠高欄が巡らされています。

飛田の歓楽街の殷賑を色濃く今に伝える貴重な建物です。
