柳通りには、多数のラブホテルも立地しています。

53年もの長きの間、営業してきた老舗ホテルも廃業しました。

モダンな曲線のデザインのホテル。表玄関には、「駅前再開発事業施行地区」を示す看板が取り付けられています。

裏玄関。路地の表側と裏側でそれぞれ玄関を持っているのが、柳通りのラブホテルの特徴です。

柳通りには、多数のラブホテルも立地しています。

53年もの長きの間、営業してきた老舗ホテルも廃業しました。

モダンな曲線のデザインのホテル。表玄関には、「駅前再開発事業施行地区」を示す看板が取り付けられています。

裏玄関。路地の表側と裏側でそれぞれ玄関を持っているのが、柳通りのラブホテルの特徴です。

今回は、蒲田(東京都大田区)の町並みを散歩します。
京急蒲田駅前の歓楽街「柳通り」。

京急蒲田駅前の一画は再開発計画が進んでいます。

道の両側にスナックが建ち並んでいますが、現在は閉店している店舗が多いようです。

「御自由にどうぞ」と書かれた貼り紙(写真左下)とともに、LPレコードが路上に並べられていました。

吉祥寺の南口から井の頭公園にかけての界隈には、「旅荘」が多くありました。*1

現在は、閑静な住宅街ですが、当時の名残と思われる旅館があります。裏口は塀で囲まれています。

井の頭公園の東側にあるひょうたん橋から坂を上がったあたりにも、旅荘がありました。昭和40代の旅荘は、現在のファッションホテルとは異なり、一見料理屋風の建物でした。写真の左側に旅荘「利根川」、右側に旅荘「安楽」がありました。*1

旅荘「安楽」があった通り。

【参考文献】
*1 土屋恂:吉祥寺消えた街角(河出書房新社,2004)P.103,P.106
吉祥寺駅から井の頭公園へ向かう坂道。

坂を下りきったところに、風情のある旅荘があります。

旅荘の裏側のお客様入口。

昭和初期の雰囲気を伝える佇まいです。

ハモニカ横丁は、右から「仲見世通り商店街」「中央通り商店街」「朝日通り商店街」と続き、最後に通りのサインのない「祥和会」と続きます。ただし、この「祥和会」の一部は、かつては小さな飲み屋が連なっていた横丁だったことから、「のれん小路」と称して、今のそのサインは残されたままです。*1

「のれん小路」の飲み屋連店は、新宿東口の和田組マーケットの建て方を参考にしているように見受けられます。間口一間、奥行1.5間の簡易なバラックは、L字型のカウンターの中におかみさんやご主人が一人入り、客は4~5人程度が座るサイズでした。*1

飲み屋が連なっていた頃の雰囲気が残っています。

「のれん小路」 と中央の通りが交差するあたり。

【参考文献】
*1 桑原才介:吉祥寺横丁の逆襲(言視舎,2011)P.35-P.36
吉祥寺駅前のハモニカ横丁は、終戦直後の闇市の姿がそのまま残っている横丁です。

漬物屋の清水屋がある通り。

鮮魚店もあります。

ハモニカ横丁の周囲を高いビルが取り囲んでいます。

「近鉄裏」がピンクゾーンというレッテルを貼られるのは、近鉄百貨店ができた1974年頃からで、たった1年間の間にピンクサロンが50軒ほど出現し、呼び込みが道をふさぎました。やがてその存在はl世界中に発信されるようになり、成田から「近鉄裏」に直行する外国人も増え、「近鉄裏」は世界のアンダーワルドの一つに数えられるようになりました*1

このような状況に対処するため、行政側では武蔵野市の土屋市長が先頭に立ち、ピンクゾーンに近接した所に図書館を設ける計画が実行されました。図書館から200メートルの範囲では、風俗営業ができないためです。*1

図書館のある通りには、客引き禁止の看板が建てられいます。

飲食店脇の客引き禁止看板。

【参考文献】
*1 桑原才介:吉祥寺横丁の逆襲(言視舎,2011)P.91,P.101
近鉄百貨店(現在のヨドバシカメラ)の東側は、いわゆる「近鉄裏」と呼ばれるピンク街でした。

現在、近鉄裏のピンク街があった場所のほとんどは空地となり、銭湯の「よろづ湯」だけがぽつんと1軒営業中です。

昭和の雰囲気を今に伝える銭湯です。

高いビルに囲まれた銭湯の煙突。

吉祥寺の近鉄百貨店(現在のヨドバシカメラ)裏には、1960年代の再開発以前の時期から社交飲食店が集積していました。その姿は、「本町ビル飲食店街」という飲み屋横丁にみることができます。、「本町ビル飲食店街」の看板の下には、ビルの1階部分に通路をとった横丁が続いています。*1

奥行のある飲み屋横丁。

横丁の向こう側には、小路をはさんでさらに次のビルも同じように横丁が続いています。

向こう側のビルから本町ビル飲食店街を見たところ。
建物と建物を貫通してできた20世紀初頭のパリのパサージュ(路地)と仕組みは同じです。*1

【参考文献】
*1 桑原才介:吉祥寺横丁の逆襲(言視舎,2011)P.82-P.94
忠海村向町(現在の竹原市忠海中町2-4)にあった貸座敷は、忠海港に隣接する海岸脇の川下(かわしも)地区へ移転しました。

元旅館の建物。裏側から見ると大きさが実感できます。

海寄りの長屋の建物。

「川下」の名の残る電柱番号札。
