今回は、玉造温泉(島根県松江市)の町並みと風俗を散歩します。
玉造温泉は、古くから知られた温泉街です。

勾玉橋のかかる玉湯川の両側に旅館などが立ち並びます。情緒のある風景です。

田山花袋の「温泉めぐり」*1 には、「松江の人達たちがよく妓を伴(つ)れて行つたりするやうなところで...」と紹介されていますが、現在は歓楽街的要素はありません。

居酒屋やカフェなどが温泉街の中に散在しています。

【参考文献】
*1 田山花袋:復刻版 温泉めぐり(博文館新社,1991)P.451
今回は、玉造温泉(島根県松江市)の町並みと風俗を散歩します。
玉造温泉は、古くから知られた温泉街です。

勾玉橋のかかる玉湯川の両側に旅館などが立ち並びます。情緒のある風景です。

田山花袋の「温泉めぐり」*1 には、「松江の人達たちがよく妓を伴(つ)れて行つたりするやうなところで...」と紹介されていますが、現在は歓楽街的要素はありません。

居酒屋やカフェなどが温泉街の中に散在しています。

【参考文献】
*1 田山花袋:復刻版 温泉めぐり(博文館新社,1991)P.451
「スタンド」と呼ばれる飲み屋のある通りの角。

サロンと書かれた看板のある店があります。

「サロン」という名のサロン。

どのような内容の店なのか、詳細は不明です。

スナックや居酒屋などが密集する代官町の歓楽街。

古い和風の建物の1階と2階の両方が「エステ」です。

2階も店舗になっています。

和風の建物にピンク色の看板。

出雲駅の駅北側の今市町は、大規模な歓楽街です。

モダンなデザインの建物。

小路の奥まったとこにあるカラフルな建物。

逆方向(東側)から。道幅の狭い小路の両側に店舗が建ち並んでいます。

日御崎漁港近くの路地。

100m程の長さの路地に木製消火器箱が密集しています。

赤ペンキの剥げ具合が年代を物語っています。

宇龍でみかけた母屋に同化した消火期箱。

出雲大社からバスで約30分のところに、日御崎があります。
日御崎からさらに徒歩で約10分。小さな湾を持つ宇龍に到着します。宇龍は、松江藩の外港として栄えました。

民宿「やすだ」の裏手の山の上にある海蔵寺。

お堂の脇に、遊女の墓があります。*1

海蔵寺から見た権現島。鳥居が見えます。

【参考文献】
*1 加藤貞仁:北前船(無明舎出版,2002)P.62
今回は、出雲(島根県出雲市)の町並みと風俗を散歩します。
出雲大社の近くに、歌舞伎の創始者「出雲阿国」の墓があります。

出雲阿国は、大社町の鍛冶職中村三右衛門の子で、出雲大社の巫女であったと伝えられています。天正の頃、出雲大社本殿の修復勧進のため京都へ上り、世にいう歌舞伎踊りを創始しました。(案内板より)

奉納山公園には、出雲阿国の功績をたたえた塔が建てられています。周囲の円形の石垣には、中村歌右衛門、市川猿之助、水谷八重子、などの名前が刻まれています。

阿国は、晩年は大社に戻り、尼僧となって余生を過ごしました。阿国寺”連歌庵”には、阿国のレリーフがあります。

わが国の性的職業婦人の起源は巫女によって発生し、古代にあっては、売笑は必ずしも不徳の行為でもなく、酷業ではありませんでした。名神、大社といわれる神社が、その近くに遊廓を有していることは、古き巫女の存在を想わせるものです。これら巫女(巫娼)から出た遊女は、歌舞にまで関係していました。歌舞伎の源流が、出雲大社の巫女である阿国によって発したことは決して偶然ではありませんでした。*1
【参考文献】
*1 中山太郎:日本巫女史(国書刊行会,2012)P.42
温泉津の金剛院近くの民家。

牛乳箱が縦に2つ並んでいます。

長久牛乳の牛乳箱。

日の出のマークが特徴です。

温泉街の裏手には、山がせまっています。山には何ヶ所かの登り道があって、温泉街を望むのに格好の場所です。瓦屋根の茶色が美しい景観をつくっています。瓦屋根の茶色は、ひと色ではなく、赤っぽいものや色の薄いものなどが混在しています。

温泉街から、北側に延びる谷あい。「金剛院の裏手の尾根道は、温泉津の中でも最高の眺め。」と地元の方が教えてくれました。

坂を登りきると、苔むした尾根道が続いています。尾根の左右は急峻な崖になっています。

尾根道の終点にある愛宕神社付近から見た温泉津港方面。石見らしい風景です。

大正時代の温泉津には、芸者仲介・検番が4軒、芸者置屋が7軒と多く、港町と温泉街としての賑わいを見せており、検番1軒で20~30任の芸者を抱えていました。*1

また、髪結い5軒、人力車夫3軒、あんま4軒、まんじゅう屋、せんべい屋などのお土産店、写真館、時計店、カフェやアイスキャンディを売る店などもあり、温泉街の風情が漂っていました。*1

大西検番があったあたり。*1

現在、薬師湯温泉があるあたりには、カフェ・芸者の「小金屋」がありました。*1

【参考文献】
*1 温泉津町教育委員会:温泉津(温泉津町教育委員会,1999)P.67-P.61