浜田(下山稲荷神社)万年ヶ鼻への登り道。

江戸時代、燈明堂(今日の灯台のような役割をする施設)が設置されていた万年ヶ鼻は、投身自殺の名所でした。燈明堂跡地付近には、浜田遊廓共済組合が昭和4年に建立した地蔵尊の供養塔が建っています。*1
今回は、下山稲荷神社から万年ヶ鼻を目指します。

稲荷神社の最上部にある祠。ここから先、道はありません。

鬱蒼とした雑木林の中を登ると、2体の地蔵に遭遇しました。明治43年と大正6年建立と読めます。

藪と茨と蜘蛛の巣をかき分けて登ると、少し傾斜が緩くなり、わずかに踏み跡があります。しばらく歩くと突然眼前が開け、万年ヶ鼻の断崖絶壁が見えます(写真は海側に少しくだった所から撮影)。ここから東へ尾根沿いにトラバース(横断)すると、万年ヶ鼻です。

【参考文献】
*1 児島俊平:近世・石見の廻船と鈩製鉄(石見郷土研究懇話会,2010)P.71-P.72

参考文献

参考記事

浜田(浜田遊廓跡地)「新地」の電柱プレート。明治中期まで外ノ浦にあったお茶屋。

明治中期まで外ノ浦にあったお茶屋は、交通の発達や連隊ができた関係で、明治33年から川下に移転し、遊廓と一般に呼ばれるようになりました。*1
「島根県濱田町全図」などの古地図*2*3 には、遊廓の場所が記載されています。

遊廓があったと思われる場所は、現在は閑静な住宅地となっています。

戦後は赤線となり、赤線は、昭和31年5月に廃止されました。*3
付近の電柱には、「新地」と書かれたプレートが確認できます。

下山稲荷神社から見た遊廓跡地。

【参考文献】
*1 市制40周年記念写真集編集委員会:写真集はまだ(浜田市,1982)P.151
*2 石見史談会:浜田町史(一誠社,1935)P.598-P.599「島根県濱田町全図」
*3 舟木孤舟:浜田港(三浦書肆,1914)「浜田全図」

参考文献

参考記事

浜田(金刀比羅神社)江戸時代、諸国の船乗りを相手とする遊び場。

今回は、浜田(島根県浜田市)の町並みと風俗を散歩します。
浜田の松原湾は、金刀比羅神社のあたりから外ノ浦という細長い入江になっていて、船問屋が軒を連ねていました。*1
もちろん、廻船あいての遊女もいました。当時の港町の全国ランキングを示した天保年代(1830-42年)の「国々湊くらべ」には、東前頭八枚目に番付されている石見浜田のところに、「ゆう女あり」という印がつけられています。*2

鳥居には、宝暦九年(1759年)と刻まれています。

江戸時代、諸国の船乗りを相手とする遊び場であった外ノ浦は、明治に入ると、それまでの厳格な城下町としての気風が薄れることにより、繁盛することとなりました。*3
金刀比羅神社から見た港の景観を明治33年の「浜田港史」は、「この地元に妓楼あり一時繁盛を極めしも今は、浜田川下畔の花と化けり...。」 と記しています。*2

金刀比羅神社の近くにある心覚院。
心覚院の過去帳には、延享四年(1747年)丁卯月 転寿信女 遊女、白子(ネ)ズミ=遊女の源氏名」とあります。*2

【参考文献】
*1 加藤貞仁 文:北前船(無明舎出版,2002)P.62
*2 児島俊平:近世・石見の廻船と鈩製鉄(石見郷土研究懇話会,2010)P.69-P.75
*3 市制40周年記念写真集編集委員会:写真集はまだ(浜田市,1982)P.151

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参考記事

大牟田(おとなのオモチャ店)対少子化大作戦の店。お父さん頑張れ。

大正町一丁目の大牟田川沿い。居酒屋などの店舗が建ち並んでいます。

道路に面して、アダルトショップがあります。

対少子化大作戦の店。「お父さん頑張れ」が店のキャッチフレーズです。

ネオン看板にも、「お父さん頑張れ」と表示されています。

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参考記事

大牟田(ガード下のアート空間)外国人水着女性。三池炭鉱専用鉄道。

三池炭鉱専用鉄道のガード下は、アートの空間です。

近くの洋品店のシャターに描かれた女性の顔。

ガード下の外国人女性。

巨大絵画が、町並みに溶け込んでいます。

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大牟田(ガード下食堂)鉄管がむき出しのガード下。

鉄管がむき出しになっている三池炭鉱専用鉄道のガード下に、食堂があります。

その名も「ガード下食堂」。

店内には、木製の机と椅子がいっぱいに並べられています。

ちゃんぽん大盛りを注文。

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大牟田(小料理「ガード」)三池炭鉱専用鉄道のガード下。

大牟田市栄町の北側に三池炭鉱専用鉄道のガードが残っています。

三池炭鉱専用鉄道と鹿児島本線が交差するあたり。

「ガード」という屋号の小料理屋があります。

商店や飲食店が建ち並んでいたと思われる一画。写真奥に見える線路は鹿児島本線です。

参考文献

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大牟田(浅草街)古びたアーチ。飲食店が軒を連ねています。

大牟田市栄町に「浅草街」と書かれた古びたアーチがあります。

スナックなどの飲食店が軒を連ねています。

かつては、繁華街として栄えていたのでしょうか。

入口付近を反対側から見たところ。写真右下に入口のアーチが見えます。

参考文献

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大牟田(新銀座)大牟田川沿いにそって約300m続く商店街。

「新銀座」は、大牟田川沿いにそって約300m続く商店街です。

衣料品や雑貨店などが営業中です。

屋根のトラス部分を見上げると、レトロな看板が目に入ります。

外側から見た「新銀座」の建物。

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大牟田(思案橋)近くに女性街がありました。

大牟田の繁華街の中心部を流れる大牟田川。

思案橋は、本町と栄町をつなぐ橋で、上流の五月橋と下流の大正橋に挟まれています。

橋名の由来は、昔この河岸に春をひさぐ女たちの店があり、男たちがこの橋を渡ろうか戻ろうかと思案したので、この橋の名があります。*1

古い橋台が残されています。

【参考文献】
*1 新藤東洋男:目で見る南筑後の100年(郷土出版社,2001)P.47

参考文献

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