余目駅前の商店街。

バス停の前にコンドームの自販機があります。

以前、鶴岡で見かけた自販機*1 と同型ですが、こちらの方が年数が経過しているように見えます。

販売されている商品は、「Kansai(寛斎)」です。

【参考記事】
*1 風俗散歩(鶴岡):コンドームの自販機(2008.11)
余目駅前の商店街。

バス停の前にコンドームの自販機があります。

以前、鶴岡で見かけた自販機*1 と同型ですが、こちらの方が年数が経過しているように見えます。

販売されている商品は、「Kansai(寛斎)」です。

【参考記事】
*1 風俗散歩(鶴岡):コンドームの自販機(2008.11)
トルコ風呂論争の舞台となった常万児童公園(この写真の奥)に隣接して、皇大神社があります。

神社の境内の東側の奥まった一画に、道祖神社があります。

鳥居のすぐ後方に、石でできた男根が2つ。

血管が浮き出ていてリアルです。

国道47号線から100mぐらい入ったところに、常万児童公園があります。

トルコ風呂を排除する目的で、行政側が意図的につくった公園です。

児童公園と書かれたプレートはどこにもありませんが、遊具は設置されています。

公園から国道側を見ると、問題となったトルコ風呂の建物が見えます(写真奥)。

今回は、余目(山形県東田川郡庄内町)の町並みと風俗を散歩します。
かつて、山形県において、トルコ風呂開業阻止のため、児童公園が設置され訴訟事件となったことがありました。風俗営業法では、官公庁や学校、図書館、児童福祉施設などの敷地から半径200メートル以内でのトルコ風呂の営業することを禁止しているため、この規制を逆手にとって、行政側が意図的に公園を作ってトルコ風呂を排除しようとしたわけです。
この事件において、仙台高等裁判所は、昭和49年7月8日の判決で、「山形県知事の児童遊園地認可は、控訴会社(トルコ風呂業者)が現行法上適法になし得るトルコ風呂営業を阻止、禁止することを直接の動機、主たる目的としてなされたものであることは明らかであり、法の下における平等の理念に反するばかりでなく、憲法の保障する営業の自由を含む職業選択の自由ないしは私有財産権を侵害するものであって、行政権の著しい濫用と評価しなけらばならない。」とし、行政側が敗訴しました。さらに、昭和53年5月26日の上告審においても、最高裁判所は「行政権の著しい濫用であり、国家賠償法一条一項にいう公権力の違法な行使にあたる」と判示しました。*1

当時の住宅地図*2 には、余目町の常万に「トルコハワイ」と記された建物があります。

現在もその当時のものと思われる建物が残っています。

建物の裏側。

【参考文献】
*1 松本女性史の会:”買春”許すまじ(銀河書房,1984)P.72-P.74
*2 ゼンリン:東田川郡余目町・立川町(ゼンリン,1990)P.13
インターチェンジ沿いには、「ホテル京浜」以外にも数棟のホテルが立ち並んでいます。

複雑な形をした歩道橋の向こう側にホテルが見えます。

インターチェンジの南側。

人目をひく概観のホテル。

今回は、今井町(神奈川県横浜市保土ケ谷区)の町並みと風俗を散歩します。
戦後のモータリゼーションの進展に伴い、日本でもアメリカのモーテルを真似たホテルが道路沿いに建てられました。
日本初のモーテルは、石川県の「モテル北陸」であると言われていますが、「モテル北陸」はドライバーの休息を目的としたものであったため、本格的な日本初のモーテルは、横浜の東名高速道路のインターチェンジ近くにつくられた「モテル京浜(ニュー京浜)」でした。

ガレージ式ラブホテル。

入口を示す看板。

道路から見ると目立ちます。

大田駅の北側は、南側とは異なり風俗店はありません。富士重工業(「スバル」ブラ前ンドの自動車などを製造)の工場の周辺には、古びたスナックがあります。

居酒屋風の古い建物。

駅の北側は、再開発の計画があるらしく、広大な空き地となっていますが、西側の一画は商店街が残っています。

駅の南側の東寄りに、旅館、スナック、美容室が同居する長屋風の建物が残っていました。

「南一番街」の西側のエリアは、パブなどの風俗店が密集するエリアです。

パブの看板。

新しい店舗が多い中で、唯一レトロなつくりの店舗があります。

建物の側面には、「素人専門店」と書かれた貼り紙が貼られています。

太田駅前の商店街「南一番街」は、近年、シャッター通り化した商店街に風俗店が入居し、商店街が風俗街化するという特殊な現象が起きました。
「南一番街」は、昭和43年(1968年)、もともと田畑だった土地を開発してつくられ、運営には、地元の商店主で構成される「太田商業推進共同組合」が組織されました。昭和52年代に入り、スーパー大手のユニーが、太田駅前に大型店「ベルタウン・ユニー」(現在はドンキホーテ)を作る計画がもちあがり、当初は「太田商業推進共同組合」はこれに反対しましたが、話し合いの結果、半分をユニーが、残りの半分を「太田商業推進共同組合」の商店主達店を構えることで決着しました。ところが、いったん大型店ができてしまうと、商店主は、出資した大型店に意識が集中してしまい、商店主の子供達も大型店で働くようになったため、南一番街からは気持ちが離れ、後継者も居なくなりなりました。こうして「南一番街」が徐々に歯抜け状態になり、あるとき、商店主は、風俗店業者に店舗を貸し始めました。*1*2

風俗店が進出した結果、商店街が風俗街化しました。

派手な看板の風俗店が乱立しています。

駅の南側は、飲食店・風俗店の密集地帯です。

【参考文献】
*1 今泉智裕:ハビタット通信((4)2006)P.28-P.31 「太田ファスト風俗街」
【参考URL】
*2 清水まさよし:太田市長とれたて日記「ユニー、ベルタウン撤退とまちなか活性化」
今回は、太田(群馬県太田市)の町並みと風俗を散歩します。
太田は、スバルでお馴染みの富士重工業の城下町です。

町名は「スバル町」。

スバル最中。

瓦せんべいを購入。
