上野町のソープラド街に隣接して、昭和の雰囲気の残る食品市場があります。

下町の雰囲気のある景観です。

食品市場「ショッピングセンター『青空』」の入口。

食品店が建ち並びます。

上野町のソープラド街に隣接して、昭和の雰囲気の残る食品市場があります。

下町の雰囲気のある景観です。

食品市場「ショッピングセンター『青空』」の入口。

食品店が建ち並びます。

上野町の一画。このあたりは恵比寿町と呼ばれていたあたりです。スナックがはいる雑居ビルやラブホテルがあります。

スナックが点在しています。

大通りに近いあたり。

逆方向から見たところ。

上野町の宮崎県遺族会館の隣に、スナック街があります。

長屋の建物の1階にスナックが入っています。

企業の事務所になっている建物もあります。

「ホステスさん募集」の貼り紙が貼られた建物。

宮崎市街の高松町。宮崎医療センター病院の東隣に、昭和を感じさせるスナック街があります。

昭和29年発行の「旅行の手帖No.12」には、「遊びどころは、恵比寿町にある灰の木。以前は墓地だったが、一昨年からこの世の歓楽センターと化した。」とあり、「灰の木」と呼ばれる場所に新興の赤線がありました。*1
スナック街の電柱には「灰の木」と書かれたプレートがありますので、この付近が赤線街だったようです。

現在もスナックは営業中です。

古い建物もあります。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く2(自由国民社,2002)P.78-P.79
今回は宮崎(宮崎県宮崎市)の町並みと風俗を散歩します。

宮崎といえば東国原元知事です。

中央通りは、宮崎市街の中心部に位置する繁華街です。昼間は閑散としてますが、夜になると活気を帯びてきます。

派手なネオン看板

バス終点の木浦鉱山バス停から林道を6.9km。徒歩で約3時間かけて女郎の墓までたどり着きました。

雑木林の中に石塚が20基あまり散見されます。

木浦山は鉱山の発達に伴い成立した鉱山町で、人口は、最も多かった元禄12年(1699年)のときで568人でした。良鉱が発見されたとき、周辺の村々からの出稼ぎもあったと思われるので、こうした人の集まるときには、赤提灯や木賃宿が繁盛し、「女郎」もいました。女郎が死去したときは、葬式や埋葬など論外で、このような雑木林の中に打ち捨てられました。このように埋葬された場所には申し訳程度に簡単に川石で墓碑などが作られていることが多く、人間の末路としては極めて悲哀を感じるものです。(案内板より)

普通の人でも墓が何百年も残るのは極少ないのに、女郎の墓と言われているものが四角く石を並べて残っているのは、不思議と言われています。*1

【参考文献】
*1 米田寿美:木浦鉱山むかし物語(梅路,2003)P.155
木浦鉱山バス停から林道を登り、横岳をまくあたりまでくると、正面に天神原山(995m)が見えてきます。

しばらく行くと、「千人間府(せんにんまぶ)」と書かれた看板があります。

天神原には遊廓があり、場所は「千人間府 」の右側の谷で竹藪になっているところと伝えられています。*1

千人間府。木浦鉱山最大の坑道でした。

【参考文献】
*1 米田寿美:木浦鉱山むかし物語(梅路,2003)P.156
「千人間府」や遊女の墓への入口。お寺の脇の道を進みます。地元の方の話によると、鉱山の発展に伴い、この通りも賑わったそうです。

古びた木造旅館

旅館と書かれた看板が残されています。

逆方向から通りを見たところ。

今回は、木浦(大分県佐伯市)の町並みと風俗を散歩します。
木浦は大分県の南端(宮崎県との県境近く)にある町です。JR日豊線佐伯駅からバスで約2時間。終点の木浦鉱山バス停に到着します。

レトロなバス停です。バスは平日のみ1日3往復しかありません。

付近には、「千人間府」と呼ばれる鉱山跡や遊女の墓があります。

ここから、「千人間府」までは4.3Km、遊女の墓までは6.9Kmの道のりです。

天神町の飲み屋街。

橋の標柱の近くに牛乳箱があります。

杵築で見かけたみどり牛乳の牛乳箱と比べるとこちらの箱は大型です。

鮮やかなみどり色です。
