十条(大人のオモチャ屋)線路沿いの店舗。アイデア商品。

今回は十条(東京都北区)の町並みと風俗を散歩します。
JR東十条の線路沿い。新幹線、東北本線、京浜東北線が平行して走っています。

線路沿いの店舗のような事務所。アイデア商品を販売店でしょうか。

「大人のオモチャ」屋さんのようです。

当然のことながら、18才未満入店お断りです。

参考文献

参考記事

音羽(月の湯)「古本まつり」の会場。富士山のペンキ絵。

目白台(音羽の西側)にある月の湯。この日は「第4回 月の湯古本まつり」の会場として使用されました。

昭和の雰囲気漂う銭湯の内部。

富士山のペンキ絵が見事です。鯉のタイル絵もすばらしいです。

洗い場。

参考文献

参考記事

音羽(岡場所跡地)江戸時代は有数の盛り場でした。

今回は、音羽(東京都文京区)の町並みと風俗を散歩します。
護国寺の門前すぐそばの音羽町の大通りは、江戸時代は1丁目から九丁目まであって、特に六丁目から九丁目にかけてが女と遊べる江戸有数の盛り場でした。道の両側には、水茶屋と料理屋が軒をつらね、ひとつ奥に入った路地や裏通りには、局見世や子供屋が並んでいました。女郎のことを「子供」と称するなど遊興は深川を模倣したものでした。*1

天保度には、八・九丁目に料理屋が3軒あって、九丁目の子供屋2軒から女を送りました。*2
3軒の料理屋(吉田屋、紅屋、住吉屋)は、現在の音羽通りと目白通りが交差するあたり(現在は音羽一丁目)にありました。*3*4

旧音羽八丁目の裏通り。

音羽町九丁目の東側の桜木町と呼ばれていた一帯にも岡場所がありました。還国寺近くから北側に見える崖下に私娼宿が並んでいました。*1

【参考文献】
*1 江戸の性を考える会:大江戸岡場所細見(三一書房,1998)P.192-P.194
*2 花咲一男:江戸岡場所遊女百姿(三樹書房,1992)P.83-P.85
*3 岸井良衞:江戸・町づくし稿. 中巻(青蛙房,2003)
*4 児玉幸多:復元・江戸情報地図 14.音羽町・小石川一円(朝日新聞社,1996)

参考文献

参考記事

熊谷(森牛乳の牛乳箱)森永ではありません。上熊谷駅近く。

秩父鉄道の上熊谷駅近く。

「森牛乳」と書かれた黄色の牛乳箱があります。「森永」ではなく「森」です。
森乳業(株)は、明治20年創業の埼玉県行田市の乳業メーカーです。*1

牛乳箱は、住宅の側面の中央部分に取り付けられています。

木の暖かみを感じる風景です。

【参考文献】
*1 横溝健志:思い出牛乳箱(ビー・エヌ・エヌ新社,2008)P.167

参考文献

参考記事

熊谷(伊勢町の遊廓跡)「まねき猫」は取り去られていました。

前回(2006年)も訪れた伊勢町の遊廓跡を散歩します。
通りの南側には、当時の建物が3軒並んでいましたが*1、現在はそのうちの両側の2軒の建物が残っています。

どっしりとした構えの元妓楼の建物。*1

「赤線跡を歩く」*1 に写真が掲載されていた「まねき猫」は取り去られていました。

右側の建物は、改装されているようです。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.84-P.87

参考文献

参考記事

金沢(野町湯)大きな看板。にし茶屋街の南側。

にし茶屋街の南側。北陸鉄道石川線の野町駅前に、銭湯の野町湯があります。
「野町湯」と書かれた大きな看板があります。

看板に導かれて進みますが、どうも入口らしくありません。

裏側へ回ると銭湯の入口らしい雰囲気です。

機械の故障のため、しばらくの間お休みです。

参考文献

参考記事

金沢(にし茶屋街周辺のパーマ屋)鮮やかな彩りの建物。

にし茶屋街周辺には数軒の美容院や理容室があります。

鮮やかな彩りの建物です。

にし茶屋街の通りをそのまま南へ行ったところにある美容院。

掘割に面した理容室。

参考文献

参考記事

金沢(雨宝院)自伝的小説「性に眼覚める頃」。

犀川大橋南詰の交差点近くにある雨宝院は、「故郷(ふるさと)は遠くにありて思うもの・・・」という詩で有名な室生犀星(むろうさいせい)が幼少期を過ごした寺です。

寺の入口脇には碑があります。

室生犀星の自伝的小説「性に眼覚める頃」は、主人公の17歳の男子の性的衝動を描いた作品です。娘が賽銭箱から銭を盗み出すのを寺の記帳場の節穴から覗いて「性欲的な興奮と発作」を感じ、その娘の家をつきとめ、玄関先に脱ぎ捨てられた紅い鼻緒の雪駄(せった)を見て、「そこに足をのせれば、まるで彼女の全身の温味を感じられる」と思い、ついにその雪駄の片方を盗んでしまいます。*1
小説の後半では、主人公が遊廓に登楼する場面が描かれています。
「私はひっそりと寺をぬけ出て、ひとりで或る神社の裏手から、廓町(現在の「にし茶屋街」)の方へ出て行った。」*1*2

雨宝院裏側から見る犀川。
現在は、川幅が広くなっていて雨宝院の後ろはすぐ川になっていますが、室生犀星がいたころの寺域は広くて、木立もうっそうと茂っていました。*3

【参考文献】
*1 室生犀星:或る少女の死まで(岩波書店,2003)P.158,P.285
*2 (財)金沢文化振興財団:かなざわ文学散策((財)金沢文化振興財団,2005)P.16
*3 「文学への旅金沢・名作の舞台」編集委員会:金沢・名作の舞台(金沢市,2000)P.148

参考文献

参考記事

金沢(にし茶屋街)現在は観光地化しています。

金沢市街の南部にある「にし茶屋町」は、金沢の花街です。

かつての遊里ですが、現在は観光地化しています。

にし茶屋町の沿革を書いた碑があります。これによると、西茶屋町は、文政3年(1820年)に妓楼を区域限定で集め、石坂茶屋町が出来上がったのが始まりだそうです。

にち茶屋町から西側に坂を下っていくと、石坂のスナック街にたどりつきます。

参考文献

参考記事

金沢(石坂の赤線跡)凝った意匠の和洋折衷の建物。

赤線があった石坂の路地。

こちらにも凝った意匠の建物が残されています。

入口部分。和洋折衷のデザインです。

鮮やかなタイル。

参考文献

参考記事