にし茶屋街周辺には数軒の美容院や理容室があります。

鮮やかな彩りの建物です。

にし茶屋街の通りをそのまま南へ行ったところにある美容院。

掘割に面した理容室。

にし茶屋街周辺には数軒の美容院や理容室があります。

鮮やかな彩りの建物です。

にし茶屋街の通りをそのまま南へ行ったところにある美容院。

掘割に面した理容室。

犀川大橋南詰の交差点近くにある雨宝院は、「故郷(ふるさと)は遠くにありて思うもの・・・」という詩で有名な室生犀星(むろうさいせい)が幼少期を過ごした寺です。

寺の入口脇には碑があります。

室生犀星の自伝的小説「性に眼覚める頃」は、主人公の17歳の男子の性的衝動を描いた作品です。娘が賽銭箱から銭を盗み出すのを寺の記帳場の節穴から覗いて「性欲的な興奮と発作」を感じ、その娘の家をつきとめ、玄関先に脱ぎ捨てられた紅い鼻緒の雪駄(せった)を見て、「そこに足をのせれば、まるで彼女の全身の温味を感じられる」と思い、ついにその雪駄の片方を盗んでしまいます。*1
小説の後半では、主人公が遊廓に登楼する場面が描かれています。
「私はひっそりと寺をぬけ出て、ひとりで或る神社の裏手から、廓町(現在の「にし茶屋街」)の方へ出て行った。」*1*2

雨宝院裏側から見る犀川。
現在は、川幅が広くなっていて雨宝院の後ろはすぐ川になっていますが、室生犀星がいたころの寺域は広くて、木立もうっそうと茂っていました。*3

【参考文献】
*1 室生犀星:或る少女の死まで(岩波書店,2003)P.158,P.285
*2 (財)金沢文化振興財団:かなざわ文学散策((財)金沢文化振興財団,2005)P.16
*3 「文学への旅金沢・名作の舞台」編集委員会:金沢・名作の舞台(金沢市,2000)P.148
金沢市街の南部にある「にし茶屋町」は、金沢の花街です。

かつての遊里ですが、現在は観光地化しています。

にし茶屋町の沿革を書いた碑があります。これによると、西茶屋町は、文政3年(1820年)に妓楼を区域限定で集め、石坂茶屋町が出来上がったのが始まりだそうです。

にち茶屋町から西側に坂を下っていくと、石坂のスナック街にたどりつきます。

赤線があった石坂の路地。

こちらにも凝った意匠の建物が残されています。

入口部分。和洋折衷のデザインです。

鮮やかなタイル。

赤線があった石坂には、タイルで彩られた建物が数多く残っています。

こちらの建物は、1・2階部分にそれぞれ和洋折衷の装飾が施されています。

2階部分。

1階部分。玄関はタイルで鮮やかに装飾されています。

【参考文献】
*1 木村聡:消えた赤線放浪記(ミリオン出版,2005)P.14
今回は、金沢(石川県金沢市)の町並みと風俗を散歩します。
金沢市街の南側に位置する石坂(いしさか)は、戦前は西廓と呼ばれた遊廓があった場所で、戦後は赤線として栄えました。「にし茶屋資料館」の角を右に曲がってしばらく行くと、掘割にかかる小橋が見えます。*1

この付近はスナックが多いエリアです。

掘割に沿って歩くと公園にでます。

公園に隣接しているスナックの建物。

【参考文献】
*1 木村聡:消えた赤線放浪記(ミリオン出版,2005)P.193-P.199
宇出津市街の中心部にある湊湯。レトロな木造の佇まいが目をひきます。

歴史を感じさせる暖簾。その上には、「湊湯」と書かれた木の看板。

暖簾をくぐると、正面には、富士山、松、宝船が描かれたタイルが貼られています。

脱衣場の神棚には、「千客万来」の文字。右上には、10カ条の「入浴者心得事項」の貼紙があります。

棚木遊廓の近くにある塩谷寺。

高台にある塩谷寺までは、長い階段を上ります。

遊廓があった頃、塩谷寺の六ツの鐘が鳴り始めると、遊女たちは格子(こうし)越しに店先に居並んで、客を出迎えました。*1

塩谷寺の高台からは、宇出津港と棚木遊廓跡地が一望できます。

【参考文献】
*1 数馬公:能州能登町物語3(北國新聞社出版局,2008)P.148
棚木の遊廓へ足を運ぶには、笹谷川にかかる橋を渡らなければなりません。地元ではこの橋を「さよなら橋(別名:未練橋)」と呼ぶようになりました。

遊廓は、治安や風俗の取り締まりなどの目的から、人々が住む土地から隔離され、定められた一つの地域に許可されました。棚木遊廓の周囲の大部分は笹谷川で仕切られ、客は木橋を渡って往来しました。

当時の遊廓の建物の前にかかる橋。

小さな地蔵堂は、遊女たちの心の拠りどころとなる確かな存在仏でした。*1

【参考文献】
*1 数馬公:能州能登町物語3(北國新聞社出版局,2008)P.156
宇出津の棚木遊廓の妓楼は、宇出津湾に注ぐ笹谷川仕切られ、整備されていました。

笹谷川から、遊廓が軒をつらねる広場への入口に、古い民宿の建物があります。

風情のある玄関。

宇出津・棚木遊廓(メンキチ)界隈図(1937年)*1 に記載されている当時の妓楼の屋号を引き継いでいます。

【参考文献】
*1 数馬公:能州能登町物語3(北國新聞社出版局,2008)P.155