貞光(貞光劇場)昭和7年の開業以来、建物の外観も内装もほぼ当時のままです。

駅前から続く成人映画の看板群*1 に釣られて歩いていくと、貞光劇場の入口のゲートに行き着きます。

昭和7年の開業以来、上映を続けています。建物の外観も内装もほぼ当時のままです。*2

1953年の「君の名は」が上映されたときは、連日、貞光駅まで行列ができ、劇場は全盛期を迎えました。しかし、その後テレビ放映が始まり、客足は遠のき、ここ十数年は、安くフィルムが借りられる成人映画が中心となっています。*2

建物の側面は、美しい黒板で覆われています。

【参考URL】
*1 風俗散歩(貞光~脇町):成人映画の看板(2009.6)
【参考文献】
*2 徳島新聞(2007.11.23)P.1 一宇街道物語(5)「貞光劇場 人々の笑い・涙を刻む」

参考文献

参考記事

貞光(駅前の看板)町のあちこちにポスターが貼られています。

今回は、貞光~脇町(徳島県美馬市)の町並みと風俗を散歩します。
JR貞光駅の駅前の通りに貞光劇場の映画のポスターが貼られています。

1階にたばこ屋さんがある民家。町のあちこちにポスターが貼られています。

専用のポスター貼り付けスペースがあります。

神社の玉垣にもポスター。映画のポスター専用に作られたと思われる木製の掲示板があります。

参考文献

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高知(旭町)V字路。五叉路。路地が迷路のように入り組んでいます。

JR土讃線旭町駅で下車し、町並みを散歩します。旭町は、昔ながらの路地裏など、下町を感じさせる風景が残っています。
旭町駅近くのV字路。角のな建物は、昔は商店だったようです。*1

交差点の道の形そのままに建てられた不動産屋の建物。*1 まるで、船の舳先(船首)部分のようです。

旭上町の旭西部公民館の入口へ続く坂道と、写真右奥のV字路を含めると、五叉路ということになります。

その場所から約10m離れた地点から逆方向(北東方向)を見ると、こちらも路地が迷路のように入り組んでいます。*1
右側の路地は奥でさらに2叉に分岐していますので、それも含めると五叉路。まさに、「ラビリンス旭」です。

【参考文献】
*1 高知遺産プロジェクト:高知遺産(グラフィティ,2005)P.36-P.41

参考文献

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高知(上町五丁目の路地)共同の物干し場。建物に挟まれた細い空間。

上町五丁目の通りに面して路地の入口があります。

建物に挟まれた細い空間が続きます。

路地を抜けると、突然、広場に出ます。

ここは、共同の物干し場のようです。現在の町では、忘れ去られてしまった「共同空間」が現在も健在です。*1

【参考文献】
*1 高知遺産プロジェクト:高知遺産(グラフィティ,2005)P.41

参考文献

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高知(駐車場隅のお稲荷さん)「下知遊廓」と刻まれた石碑。

高知には、かつて「上の新地」と「下の新地」の2つの遊廓がありました。「上の新地」は、市街の西側(現在の玉水新地*1)に位置していたのに対し、「下の新地」は、市街の東側の市電「知寄町二丁目」停留所から、南側に5分ほど歩いた位置にありました。*2
県道35号桂浜宝永線に面した場所に駐車場があります。

駐車場の隅に小さなお稲荷さんがあります。

お稲荷さんの脇に、「昭和五年三月 植櫻樹記念」と刻まれた石碑が放置されています。*2

周囲の町並みに遊廓あったことの面影はありませんが、その中で、この石碑は唯一の下知遊廓の痕跡といえます。

【参考URL】
*1 風俗散歩(高知):玉水新地(2009.6)
【参考文献】
*2 木村聡:消えた赤線放浪記(ミリオン出版,2005)P.272-P.274

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高知(玉水新地)タイルで装飾されたスナックの建物。

玉水新地には、洋風の建物もあります。

スナックみち。スナックの建物だったようです。

路地を入ったところにあるタイルで装飾されたスナックの建物。

「カフエー」のプレート。

参考文献

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高知(掛川町)青線があった地域

高知(旧玉水新地の旅館)和風旅館やモダンなデザインの建物が混在する一画。

思案橋から水路沿いの道を行くと、和風旅館やモダンなデザインの建物が混在する一画に出ます。ここが旧玉水新地です。

新地の東側にモルタルの旅館が建ち並ぶ一画があります。

旅館「若水」の昼間の様子。

夜も営業中です。

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高知(掛川町)青線があった地域

高知(思案橋)桁間わずか1m。思案橋番所。

高知市内には、旧町名の由来を説明する案内板があちこちにあります。

旧本町筋の西端を南に折れたところに、思案橋番所がありました。

実際にその場所に行ってみると、思案橋と書かれた小さな橋があります。橋の桁間は、わずか1m程です。
思案橋の名前の由来は、この橋から先は、いくつかの道が分岐していたので、どの道を通るか「思案」したのだとか、この橋の先にはる玉水新地に行くかどうか迷うので、「思案橋」になったのだとか、いろいろな説があります。*1

大正15年につくられた橋です。

【参考文献】
*1 高知遺産プロジェクト:高知遺産(グラフィティ,2005)P.88-P.89

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高知(白ポスト)県庁前の交差点。郵便ポストにそっくり。

今回は、高知(高知県高知市)の町並みと風俗を散歩します。
山内一豊が築いた高知城は、現在は高知県庁がある町の中心部です。旧本町筋は、城下町がつくられたとき、最初にできた基本となる道路です。現在も市電が走る高知市の中心市街地です。

交差点に、白ポストがあります。

白ポストは、駅前に設置されているケースが多いのですが、高知の白ポストは、県庁前の交差点に設置されています。

上部の帽子のような形状とコンクリートの台座。郵便ポストにそっくりです。

参考文献

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宇和島(築地建設記念の石碑)築地花街が建設されたことを記念して建てられた碑。

宇和島市築地町の北側(住吉町2丁目)にあるホテルコーラル宇和島。

駐車場の隅に石碑があります。

「築地建設記念」と彫られています。

石碑には、「昭和四年宇和島市港湾改修ノ進捗ニ伴ヒ須賀川附替ノ議決スルヤ河身北陽ヲ貫クヲ以テ市長山村豊次郎深ク之ヲ憂ヒ関係業者ヲ融通シテ花街移転ノ計画を樹ツ...(後略)」と移転の経緯が説明されていて、この碑が、築地花街が建設されたことを記念して建てられたことがわかります。

須賀川は、降雨の際の大量の土砂が港の機能を失わせることから、幕藩時代から伊達家により附替が計画されていましたが、昭和の時代になりようやく実現されることとなりました。そのとき問題となったのが須賀川の付替えによりその場を失うことになる北陽花街の移転問題でした。移転先の築地が未開の地であることから、反対意見があり、結局、築地に移転する業者と北陽に残る業者に分かれることとなりました。*1
昭和6年の古地図*2 を見ると、建設中の須賀川と北陽、築地の両花街が記されています。
【参考文献】
*1 宇和島市誌編さん委員会:宇和島市誌(宇和島市,1974)P.200-P.217
*2 宇和島市街地図(1931)

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