湯本駅のすぐそばに、いわき市石炭・化石館があります。

坑夫の像。

地下1階に、当時の坑道を再現した「模擬坑道」があります。人形を使った解りやすい展示です。

昔は女性も裸で作業に参加していました。

湯本駅のすぐそばに、いわき市石炭・化石館があります。

坑夫の像。

地下1階に、当時の坑道を再現した「模擬坑道」があります。人形を使った解りやすい展示です。

昔は女性も裸で作業に参加していました。

温泉街の奥まったところ。

ストリップ劇場のいわきミュージックがあります。

純和風の建物。

現在は、マッサージサロンとして営業しているのでしょうか。

温泉街に、旧映画館の三函座の建物が残っています。

この建物は、文化財として保存されています。

切符売り場は、鮮やかなタイルの装飾が施されています。

昔、この辺りは「三函」と呼ばれていたそうです。

今回は、湯本(福島県いわき市)の町並みと風俗を散歩します。
JR常磐線の湯本駅前から山側に、湯本温泉街が広がっています。戦後、朝鮮動乱は特需ブームをもたらし、常盤炭田地帯は出炭量が増えて、空前の黒ダイヤ景気を呼びました。炭鉱地帯の中心であった湯本温泉は、炭鉱景気で賑わい、湯本の芸者数は急増し、一時は300人を超えました。*1
温泉街には、旅館の他、スナックが点在しています。

花街らしい雰囲気も残っています。

奇抜なデザインの建物。

味わいのある建物が多いです。

【参考文献】
*1郷土出版社:いわき今昔写真帖(郷土出版社,2003)P.98
五色町遊郭跡地近くに銭湯があります。

入口には、山積みにされた材木。

「材木以外は持ち込んではいけません」の看板。

小規模ですが、落ち着いた雰囲気の銭湯です。

今回は、いわき(福島県いわき市)の町並みと風俗を散歩します。
いわき市は、1966年に、平市、磐城市などを合併し誕生しました。その後、1994年に平駅はいわき駅と改名されました。
明治の初期、平の遊廓は、最初、材木町、その他に点在していましたが、明治40年に五色町に移転しました。吉原遊廓をまねて大門を建て、酔客をそこまで見送ることが、浜通りの名物となっていました。*1

鎌田町から見た五色町交差点方面。

平町全図*2 に五色町遊廓の場所が記されていますが、それによると、五色町遊廓は、現在の五色町交差点の南側にあったと思われます。

遊廓の東側に位置する鎌田橋。五色町遊廓は鎌田遊廓とも呼ばれていました。*1

【参考文献】
*1 荒川禎三:磐城百年史(マルトモ書店,1966)p.282-P.285
*2 吉成留三郎:磐城平町案内(関内米三郎,1913)
昭和30年から52年まで、船橋ヘルスセンターという娯楽施設がありました。その面積は東京ドーム8個分という巨大なもので、温泉、遊覧飛行場、サーキット場、人口ビーチ、遊園地、ゴルフコース、人工スキー場などがありました。
中でも、高さ25メートル、長さ100メートルの水の滑り台の「大滝すべり」は大ブレークしました。時速50キロメートル滑降スピードのため、途中で海水パンツが脱げてしまうというハプニングも起きました。
現在は、大型ショッピングセンターの「ららぽーと」になっています。

三井ガーデンホテルの駐車場の脇。大きな松の木の手前に碑が建っています。

「温泉コンクール入選記念」。船橋ヘルスセンターの名残と言えそうな碑です。

昭和32年に、週刊読売が選定したコンクールだったようです。

【参考文献】
*1 日本観光雑学研究倶楽部:セピア色の遊園地(創成社,2005)P.76-P.88
船橋港の近くにあるビジネスホテルの「市松」。

近代的なビジネスホテルになっていますが、敷地の端に古い建物があります。

建物の側面上部に、ローマ字で「HOTELU ICHIMATS」と書かれています。普通は、「HOTEL ICHIMATSU」だと思うのですが、昔は、こういう書き方をしていたのでしょうか。

モダンなデザインです。

船橋駅近くの商店街のアーケードに「ハワイ本店」の看板がありす。

細い路地に飲食店が建ち並んでいます。

路地に面して派手な看板を掲げた店があります。

入口には、女性の写真が貼ってあります。

国道14号線沿いにあるNTTのビルから少し南へ入ったところに、運河跡の入口があります。

運河跡の脇には遊歩道が続いています。

この運河跡は、澪(みお)と呼ばる川と海を結ぶ流路で、かつては海から魚を運ぶために利用されていました。船橋には、このような澪が数多くありました。12
せり出す母屋がアジアンチックです。*2

裏側の道路側から母屋を見たところ。

【参考文献】
*1 船橋市広報課:悠遊散歩道(船橋市広報課,1996)P.7-P.8
*2 散歩の達人(2001.10)P.12