青森(駅前天国)青色に塗装された奥の公衆トイレ。

呑み屋街の「駅前天国」。

現在は、営業している店は少ないようです。

通路は曲がって奥へ進みます。

奥にある公衆トイレ。青色に塗装されています。

参考文献

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青森(赤平りんご店のトタン建築)隣に駅前天国。

今回は、青森(青森県青森市)の町並みと風俗を散歩します。
青森駅前にある1階にリンゴ屋が入る建物。(隣は「駅前天国」)

建物の側面(南側)。

芸術的なトタン建築です。

建物の右側。こちらは赤色が中心。

参考文献

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浅虫温泉(飲食店だったと思われる建物)温泉街の奥まったあたり。

浅虫温泉の温泉街の奥まったところに、飲食店だったと思われる建物があります。「アゲーン」と書かれた看板だけが残されています。

1階部分。

閉店してからだいぶ経過しているようです。

建物の裏側へ通じる入口。

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浅虫温泉(妓楼風の建物)どっしりとした大型の木造建築。

温泉街の南端にあたる浅虫川沿いに、酌婦を置いた料理店だったと思われる妓楼風の建物が残る一画があります。*1

どっしりとした大型の木造建築です。

吸い込まれそうな玄関。

川沿いから見る建物の裏側。もの凄い迫力です。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く 完結編(自由国民社,2007)P.54-P.55

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浅虫温泉(浅虫温泉駅)ホタテのふるさと。

今回は、浅虫温泉(青森県青森市)の町並みと風俗を散歩します。

浅虫温泉駅は、東北本線の駅で言うと、青森駅から5つ目の駅です。

「ホタテのふるさと」と書かれた浅虫温泉の看板。

JR東北本線浅虫温泉駅と湯の島。

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大湊(ロマンス坂)賑わいを見せた「ロマンス座」跡。

妓楼風の石造りの建物の脇から延びる「一番坂」。
大湊上町の常楽寺に、霊場恐山まで続く三十三観音の起点となる一番観音があることから「一番坂」と名付けられました。*1

逆方向から見下ろすと海が見えます。付近には木造の旧家も数多く見られます。

「一番坂」の南側にある「ロマンス坂」。
明治43年、大湊地区では初めての演芸場「盛港館」ができ、芝居や歌舞伎、踊りなどが上演されました。大正時代から無声映画の上映も始まり、その後名称は、新興劇場、ロマンス座と変わり、映画専門の劇場になりましたが、一時は、大変な賑わいを見せました。昭和30年代に閉館しましたが、人々が通ったこの坂道の思い出を残すため、劇場の名をとって「ロマンス坂」と名付けられました。*1

大湊上町稲荷神社があった付近から見下ろすロマンス坂。ロマンス座は大湊上町稲荷神社の下の坂の中腹にありました。*1

参考文献

*1
東奥日報社坂に愛称できた!! 坂の街・むつ市大湊 3東奥日報東奥日報社1991.4.4

一番坂

 大湊上…

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大湊(石造りの建物)料理屋の建物。海軍御用達。

海岸沿いの旧道を軍港があった方向に行くと、「一番坂」の登り口の角に、料理屋か妓楼のような石造りの建物が現れます。*1

この建物は、昭和10年の大湊町誌*2 の広告欄に掲載されている、「海軍御用達 艀(はしけ)業」の建物と思われますが、軍人さんへの接待なども行われたのかもしれません。

石造りの玄関と木製の扉。

玄関の上部の木彫り装飾。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く 完結編(自由国民社,2007)P.52-P.53
*2 笹沢魯羊:大湊町誌(下北新報社,1935)

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大湊(三叉路南側のスナック店)古い店舗が建ち並ぶ一画。

大湊新町の三叉路の南側に、古い店舗が建ち並ぶ一画があります。

スナックの建物が1軒だけ残っています。

レトロな看板が印象的です。

古い住宅地図*1 によると、このあたりは、道の両脇に「だるま」「プリンス」「くろねこ」「すみれ」などのスナックと思われる店舗が建ち並ぶ繁華街だったようです。

【参考文献】
*1 日本住宅地図出版:むつ市(日本住宅地図出版,1980)P.44

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大湊(大湊市街の理髪店)スナック店が併設。

今回は、大湊(青森県むつ市)の町並みと風俗を散歩します。
JR大湊線の終着駅である大湊駅を下車し、市街地を西を進みます。市街からは、恐山が見えます。

理髪店の建物に、スナック店、飲食店が併設されています。

理髪店の建物の角にあるスナックの看板。

建物の右側は、焼肉店。

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湯本(常磐ハワイアンセンター)炭鉱生まれのパラダイス。

湯本駅から約3kmの山中に常磐ハワイアンセンター(スパリゾートハワイアンズ)があります。
常磐ハワイアンセンターは、昭和36年、常磐炭鉱の社長だった中村豊さんによって構想されました。この楽園の素は、炭鉱を掘るときに湧いて出る温泉でした。温泉は炭鉱にとっては困りもので、莫大な費用をかけて坑内から汲みだし、川へ捨てていました。*1
昭和30年代、エネルギー革命(石炭から石油へ)が進行し、採炭事業の存続が困難な状況にまで発展しました。その頃、大衆のための娯楽施設として注目を集めていたのが、昭和31年、千葉県船橋市にオープンした船橋ヘルスセンター*3 で、常磐炭礦の関係者を大いに刺激しました。しかし、無名の温泉施設に客を集めるには工夫がいるので、フラダンスやタヒチアンショーを見せることにしました。なぜ、フラダンスを取り入れたのかについて、中村さんは、「昔から温泉宿は酒と女ですが、女は売春防止法にひっかかるから、腰をふらせたらよかろうと思って」と解りやすい理由を述べています。*2

この実話に基づいて制作された映画「フラガール」は、第30回日本アカデミー賞(2007年2月16日発表) を受賞しました。
スパリゾートハワイアンズの中に、映画「フラガール」の大ヒットを記念して作られた展示会場「フラ・ミュージアム」があります。

炭鉱の苦悩から生まれた常磐ハワイアンセンターの紆余曲折が、あますところなく紹介されています。
あっ!裸踊りのネエちゃんだ!
腰振りダンス!?
ヘソを出して踊るなんて!
「やらなければならない。生き抜くために」

トロピカルフラショー。タヒチアンダンスは圧巻です。

【参考文献】
*1 田中聡:ニッポン秘境館の謎(晶文社,1999)P. 53
*2 猪狩勝己:ハワイアンセンター物語(加納活版所,1980)P.6-P.20
【参考記事】
*3 風俗散歩(船橋):船橋ヘルスセンター跡(2008.11)

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