古市(両口屋)坂を上りきったところにあります。

坂をを登っていくと、まるで城郭のような立派な石垣が見えてきます。この石垣は、坂道の斜面に立つ古い大きな家の土台を支えるものです。

この古い大きな家は、元旅館の「両口屋」です。明治30年頃の古市には、遊廓30軒(遊女250人)、料理屋6軒、うなぎ屋4軒、菓子屋5軒、旅館14軒がありましたが、「両口屋」は、そのうちの旅館の1軒でした。*1 かつて、この坂道の両側に広がっていた遊里の賑わいぶりを想像させる建物です。

坂を登り切ったところは、三叉路になっていて、この建物が三叉路の分岐点の目印のような存在になっています。この古い建物の玄関に乗用車が突入しているように見えますが、これは単に駐車しているだけです。玄関前の木が生長しすぎていて、建物の全容が窺いにくくなっているのがちょっと残念です。

建物は、かなり老朽化が進んでいます。

【参考文献】
*1 中沢正:遊女物語(雄山閣出版,1971) P.159

参考文献

参考記事

古市(小田の橋)伊勢神宮の外宮と内宮を結ぶ参宮街道の入り口。

今回は、古市(三重県伊勢市)の町並みと風俗を散歩します。
古市には、かつて古市遊廓があり、お伊勢参りの人々で賑わっていました。
近鉄線宇治山田駅から勢田川に向かって10分ほど歩いたところに、「古市参宮街道」の案内板があります。これによると、古市遊廓は日本三大遊廓の一つと紹介されています。

橋の欄干。

小田橋は、伊勢神宮の外宮と内宮を結ぶ参宮街道の入り口にあたり、江戸時代から勢田川にかかっていました。(「小田橋」の案内板より)

小田の橋の案内板。
伊勢といえば、誰もが古市遊廓を連想するほど、この色里は天下にその名が高く、年間数十万人と言われる旅客の落とす巨額の金銭のほとんどが、古市遊廓に吸収されたといわれています。*1

----「古市参宮街道」の案内板(抜粋)----
「伊勢に行きたい伊勢路がみたい、せめて一生に一度でも」と道中伊勢音頭にうたわれたように、江戸時代、伊勢参りは庶民の夢でした。全国津々浦々から胸躍らせて伊勢参りに向かう人々、特に、慶安3年(1650年)、宝永2年(1705年)、明和8年(1771年)、文政13年(1830年)、慶長3年(1867年)の「おかげ参り」には、全盛期を迎え、多いときには、半年間に約458万人に参詣者があったと記録に残されています。
外宮から内宮へ向かう古市街道は、伊勢参りと共に栄えました。その中でも古市は、江戸の吉原、京の島原と並ぶ三大遊廓で、全盛期には、妓楼70軒、遊女1000人を数えました。
【参考文献】
*1 中沢正:遊女物語(雄山閣出版,1971)P.142

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渡鹿野島(「わくわくランド」跡)ゲートだけが残っています。

渡鹿野島の北西側を進むと、道路下に小さな集落が見えてきます。

「わくわくランド」と書かれたゲート。

現在は草木で覆われています。

反対側の入江と一体となった娯楽施設だったのかもしれません。

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渡鹿野島(パールビーチ)小規模なビーチ。廃業しているホテル。

渡鹿野島は、観光地化が進んでいます。渡鹿野港の近くに、パールビーチがあります。

小規模なビーチですが、いい雰囲気のビーチです。

近隣には、ホテルが数棟あります。

中には廃業しているホテルもあるようです。

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渡鹿野島(スナック店)町の中心部に散在。

渡鹿野島の町の中心部の通りには、カラオケ店などのスナックが散在しています。

ホテルでの宴会の後の2次会に使用されるのだと思います。

コンパニオンの置屋あるらしいですが、昼間のうちは営業していません。

住居とスナックが混在しています。

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渡鹿野島(シーサイドホテルつたや)旅館から見る眺めは最高です。

今回は、渡鹿野島の町並みを散歩します。

渡鹿野島は、近年は観光地として発展を遂げています。
渡鹿野港近くの「シーサイドホテルつたや」は、渡鹿野島を代表する観光ホテルです。

宿泊した部屋。

ホテルの窓からは、渡鹿野港と周辺の美しい海が見渡せます。
昔、志摩には、「はしりがね」と呼ばれる船女郎がいましたが、渡鹿野島は、「はしりがね」の情緒を色濃く残しており、波止場に船がつくと媚を売る女達が、出迎えてくれる情景が見られたそうです。*1

【参考文献】
*1 岩田準一:志摩のはしりがね(1940)P.57

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玉川村(駅近くの楼閣)元料理店の建物。料理店と書かれた納税証。

駅から県道102号線(長沢水戸線)を少し行くと、料理屋だったという楼閣*1 があります。

建物の側面。洋風と和風がミックスされています。

料理店の入り口。

料理店と書かれた納税証が残っています。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.92-P.93

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玉川村(駅前のお宅)装飾のある窓硝子。店の屋号。

玉川村の駅前のメインストリート。

「赤線跡を歩く」*1 に掲載されていた家がまだ残っていました。

入口に装飾のある窓硝子があります。

店の屋号でしょうか。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.92-P.93

参考文献

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玉川村(水郡線玉川駅)関東の駅百選に選ばれた駅。

今回は、玉川村(茨城県)の町並みと風俗を散歩します。 玉川村は水戸からJR水郡線で11駅約50分のところにあります。

水郡線は単線で、車両はディーゼル車です。

駅のホームのところどころに、このような面白い形に剪定された木が植えてあります。

駅舎は、山間にとけ込んだロッジ風の駅舎にコミュニティ施設を併設した駅です。「鉄道の日」の関連事業の関東の駅百選に選ばれています。

【参考URL】
関東の駅百選(国土交通省関東運輸局ホームページ)

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富士吉田(富士山三合目)コナミルクの木製ベンチ。

富士吉田は、唯一、富士山を一合目から上れる登山道の登山口です。まずは、遊歩道を歩いて、一合目を目指します。

三合目まで来ました。

案内板によると、ここには、江戸時代から茶屋(山小屋)が2軒あり、ここからの見晴らしが良かったので、多くの登山者がここで休憩したそうです。

廃屋に「ルミナコ治明」...ではなく、「明治コナミルク」(右から読みます)と書かれた木製ベンチが放置されていました。
明治コナミルクは、1923年に開発された歴史のある乳製品です。*1

【参考URL】
*1 明治乳業(株):明治コナミルクの歴史

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