本通りの坂道を南へどんどん登っていくと、国道139号線(横町バイパス)へ出て、やがて富士浅間(せんげん)神社へ着きます。富士浅間神社の杉の巨木が神秘的です。

歩道に、償却炉があります。右側のコンクリートブロック製の償却炉の脇にタイルでできたもう一つの償却炉?が置かれています。

側面には、穴が二つあいています。おそらく、かつて浴槽として使われていたものを捨てずに何かの目的で使っているのだと思います。

懐かしい全面タイル貼りの浴槽です。

本通りの坂道を南へどんどん登っていくと、国道139号線(横町バイパス)へ出て、やがて富士浅間(せんげん)神社へ着きます。富士浅間神社の杉の巨木が神秘的です。

歩道に、償却炉があります。右側のコンクリートブロック製の償却炉の脇にタイルでできたもう一つの償却炉?が置かれています。

側面には、穴が二つあいています。おそらく、かつて浴槽として使われていたものを捨てずに何かの目的で使っているのだと思います。

懐かしい全面タイル貼りの浴槽です。

北裏通りのうどん屋が2軒(べんけい、さいぐさ)建ち並ぶところから東側に入った路地。

山田屋販売店※1 の名が書かれた牛乳箱。

白地に箱に、赤の像のマーク。

武田ホモゲ牛乳、武田ミネビタ牛乳。

下吉田3丁目の商店街。店の側面に、「制服専門」と大きく書かれています。

つちや洋装店は、制服専門店です。

制服を着たマネキンがずらりと並んでいます。

2体のマネキン。

西裏通りから路地を一本入ったところにある元旅館。

まるで、赤線跡の建物のようなモダンな建築です。

パラペット部分のランプ。

隣接する飲食店の建物の丸窓。

富士吉田は、昭和30年代、織物産業が盛んで、県内外から業者たちが集まりました。月江寺駅周辺には、歓楽街の面影が、色濃く残っています。*1
神田堀川の東側にある「ミリオン通り」には、レトロな雰囲気のスナックが残っています。

韓国食品の店ですが、入口の看板にはビデオと書かれています。

ホルモン焼の店。

逆方向(南東側)から。

*1 富士吉田市観光協会:富士吉田市街案内ガイド「富士吉田今昔の旅」
今回は、富士吉田(山梨県)の町並みを散歩します。
富士急行線富士吉田駅を下車してすぐのとこにある食堂の熱海屋。

建物の裏口。

歴史を感じます。

名物の吉田うどんを注文。
富士吉田では、織物産業の最盛期、機織から手を離せない女性に代わって男性がうどんを打っていました。*1

大正12年の関東大震災では、弁天池(花園池)に多くの人々がこの池に逃れ、490人が溺死したという悲劇が起りました。*1

弁天祠の築山に立つ大きな観音様は、溺死した人々の供養のため、大正15年に創立されたものです。*1

観音様。

関東大震災80周年の碑。

【参考文献】
*1 風俗散歩(吉原):弁天池の案内板(2006.7)
吉原弁財天には、弁天池(花園池)が残されています。池にネットが被せられています。

池にネットが被せられているネットは、おそらく、池に泳いでいる金魚が盗まれるのを防止するためのもののようです。

金魚だけでなく、小さな緋鯉も泳いでいます。

日本橋の吉原遊廓(元吉原)が当時湿地だったこの地に移転(新吉原)しましたが、その際、湿地の一部を埋め立てた際、池の一部が残り、いつしか池畔に弁天祠が祀られ、遊廓楼主たちの信仰をあつめました。現在は浅草七福神の一社として毎年正月に多くの参拝者が訪れています。昭和34年吉原電話局(現在の吉原ビル)の建設に伴う埋め立て工事のため、池はわずかにその名残を留めるのみとなりました。(案内板より)

吉原弁財天へ立ち寄りました。入口には大門のレプリカが立っています。

右の石柱に「春夢正濃満街桜雲(しゅんむまさにこまやかなりまんがいのおううん)」、これは仲之町通りに一夜で植えられた数千本の見事な桜樹を描写しています。*1

左の石柱には「秋信先通両行灯影(しゅうしんまさにつうずりょうこうのとうえい)」とあり、享保11年(1726年)の春に急逝した、角町中万字屋(なかまんじや)の玉菊という花魁の追善供養のための盆灯篭が連なるさまを詠んでいます。*1 この燈篭は、俗に「玉菊燈篭」と呼ばれ、吉原の年中行事とされ、仲之町の桜、俄(にわか)とともに、吉原三大景容のひとつと数えられました。*2

石柱に彫られている詩は、これら「吉原三大景物」の一つづつを詠み込んだ福地桜痴の詩の復刻です。*1

*1 岡崎柾男:江戸東京伝説散歩(青蛙房,2005)P.143
*2 西山松之助:遊女(東京堂出版,1994)P.187
今回は、吉原(東京都台東区)の町並みを散歩します。
国際通りを越え、鷲神社の裏手の通りに入りました。

T字路に、「散歩の達人」の特集「街に赤線があった頃」*1 に掲載された扇型の窓を持つお宅があります。雑誌掲載当時は、1階が「三好」という中華食堂でしたが、今は普通の住宅です。

「面白い造りの店だと言われて、映画の撮影に使われたこともあった。」そうです。*1

特徴のある扇型の窓は今でもの健在です。

【参考文献】
*1 大竹誠:散歩の達人(1996.11)P.21