美濃太田駅前の広場。
坪内逍遥の銅像が鎮座しています。
坪内逍遥は、日本最初の近代的文学論『小説真髄』(1885~1886)とその実践となる小説『当世書生気質』(1885~1886)を著し、文壇の中心的存在となりました。
逍遥は、大学時代の同級生に誘われて、根津遊廓の大八幡楼(おおやわたろう)にあがり、ここで出逢った遊女の花紫と明治十九年十月二十二日に結婚しました。*1
しかし、逍遥自身はこれが原因となって、鬱憂になったといわれています。*2
美濃太田(坪内逍遥の銅像)根津遊廓
参考文献
*1
矢田山聖子坪内逍遥の妻 大八幡楼の恋作品社2004
P.10
逍遥は、大学時代の同級生に誘われて、根津遊廓のなかでもひときわ格式のある権現裏の大八幡楼(お…
*2
松本清張文豪文芸春秋新社1974
P.44-P.45
逍遥がおセンさんといっしょになったのは二十八歳の秋、それからそろそろ初期鬱憂現象の神経衰…