祝町遊廓の有名な話の一つとして、妓楼の鹿島屋創建につながる一人の相撲力士の立志伝があります。寛政年間、那珂湊で相撲の巡業が開かれましたある日、会場に那珂湊の「樫村屋小重」というやくざの親分が会場に木戸銭も払わずに入場してきましたので、これを防ごうと鹿島出身の幕下力士「鹿ヶ島(鹿島屋大吉)」が大手を広げて立ちふさがり、力士対やくざの大喧嘩が始まりそうになりました。そこに那珂湊の廻船問屋の主人が仲裁に入り、大事には至らずにすみました。「鹿ヶ島」は十両まで昇進し引退しましたが、引退後は祝町にやってきて、喧嘩の仲裁に入ってくれた廻船問屋の主人を訪ね、資金を借りて当時売りに出されていた遊廓を買い取り、「鹿島屋」として創業しました。この鹿島屋大吉の墓は、現在、願入寺の本堂の右側にあります。*1
鹿島屋大吉の墓は、無縁仏の供養塔として利用されています。*1
墓の周りには多くの無縁仏の墓石が積まれています。
よくみると、「玄桃」、「紅葉」など、遊女や芸者の名が刻まれていることがわかります。*2
【参考文献】
*1 山形雄三:祝町昔がたり(山形雄三,1981)P.54-P.57
*2 大洗町史編さん委員会:大洗町史. 通史編(大洗町,1986)P.340-P.341