全国>神奈川県>南足柄市>大雄町>/

大雄山(道了大薩埵碑)仁王門前左側。「新吉原講」の大文字。

仁王門前左側にある道了大薩埵碑。道了大薩埵(どうりょうだいさった)は、大雄山最乗寺の守護神。

台石に、「新吉原講」と大きく刻まれています。
吉原道了尊参拝の講の人たちが道標を建立したことがわかります。*1

道標の後ろ側に、由緒を示す石碑が建っています。

石碑の銘文を要約すると、遊廓吉原が開かれた元和年間に吉原講が結成され、以来、大雄山に詣でていて、天明2年に国府津に道標を建て、明治13年に再建したが、その道標が明治35年の海嘯(かいしょう)で崩壊したため、36年に松田に再建したということです。吉原講がかなり古くからも有力な講であったことが解ります。明治40年の星宿燈建立※1も、この吉原講が行ったと考えられます。*1

吉原講は、吉原遊廓が開かれた元和年間に結成され、以来、大雄山に詣でていました。天明2年に国府津に道標を建て、明治13年に再建、さらに明治36年に松田に再建されました。明治40年の星宿燈建立も、この吉原講が行ったと考えられています。*1

参考文献

*1
澤村泰彦星々のみちびき:大大雄山参道二十八宿灯平塚市博物館平成二十三年度冬期特別展図録平塚市博物館
吉原講と大雄山

P.30
参道四丁目の仁王門の前には高さ2mを超える大きな石の道標が参道をはさ…

参考記事

※1大雄山(道了尊仁王門)二十八宿石燈籠の案内板。

この記事を参照している記事

大雄山(道了大薩埵碑裏面)裏面下部に新吉原講の講元、世話人の記載。
伊勢原(星図が刻まれた石碑)最乗寺の開祖了庵禅師の故郷の道了尊。星曼荼羅。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です