昭和の初期、焼尻島は、にしん景気で笑いが止まらない時期がありました。昭和8,9年の羽幌町の記録によると、にしんの水揚げが年間1億円を越し、漁民のタンスは札束でぎっしり詰まってしまい、人口3000人のこの小島に料亭や飲み屋が13軒もでき、酌婦の数も40人を越しました。*1
地元の方の話によると、ハート柄の急な坂道(1枚目の写真)を登り 、厳島神社へ向かう坂道の手前を右折した工兵街道記念碑に至るまでの道*2 は、かつての歓楽街で、映画館や遊廓もあったそうです。遊廓は、昭和33年まで続きました。
かつての遊廓跡*3 を偲ぶものは残っていません。
建物の合間からの遠望。
【参考文献】
*1 茂木慎雄,柞木田竜善:島への旅行案内(秋元書房,1962)P.24
*2 羽幌町観光協会:公式ホームページ「天売島・焼尻島手書きまっぷ」
*3 北海道新聞社:「フォト海道」写真データベース「羽幌町 焼尻の遊郭跡」